遺品整理中に出会ったスコッチウィスキー【ボウモア1964・バイセンテナリー】|文京区小石川にて古酒の買取

, , , , , , ,

今日は思いのほか冷えました。
朝の天気予報にそっぽを向かれちゃったんでしょうか。

電気ストーブを付けながら、ここ最近忙しくてやり切れていなかった在庫品の整理中、文京区から一本の電話。

小石川の3丁目、白山通りから少し折れた所の、ちょっと曲がりくねった細い道。木製のフェンスでしっかりと囲まれた立派な二階建ての木造のお住いが、今回依頼を頂いたU様邸です。

「近くまで来たら携帯に電話をちょうだい」

そんなお約束をお問い合わせ頂いたときにしてました。

お電話すると、二階の出窓から笑顔の女性がこちらに手を振ってます。

「入ってもらっていいですよ」と、立派な門柱からなんとなく重そうな扉を開いてお客様宅の玄関に向かいました。

恐らく紅葉でしょうか、かなりの植栽が植えられてます。

後から聞いた話で、今回ご依頼をくださったU様の趣味がガーデニングとのことでした。


半地下の倉庫の整理・片付け

奥様、ちょうどお部屋の整理中でした。

私が来ることをモチベーションに急に思い立って掃除をスタートされたそうです。

「目的が無いと、ほら、なかなか掃除できないでしょ」

と笑顔で私を迎えてくださいました。

じゃあ、早速、とのことでご案内されたのが一階から繋がる半地下の倉庫。かなり狭い、裸電球がぷらーんと垂れ下がってる空間です。

中に入ると、あまり足の踏み場がなさそうです、何かを踏みつけながらの作業。

何度か足元を取られました。

 

「でね、この辺なんだけどさ、持ってける?」

 

半地下の倉庫に置かれたアルミの棚には、当時、亡くなったお父様が読んでらっしゃという本やお酒など所狭しと置かれてます。


世界美術全集と古い洋酒

まずは、棚に収められていた本からの整理。

「世界美術全集」が殆どを占めてます。

しかしお父様は東洋についてのご興味が色濃かったようで、東洋編ばかりでした。

一瞬の喜びも束の間、裸電球の光に本を照らしてみると、本にカビやらなんやらが付着して評価できるようなコンディションじゃありませんでした。

そして別の棚にはこれまた、所狭しと洋酒が30本くらい置かれてます。

胸を高鳴りを抑えつつ、持参した懐中電灯をここで使いました。

昭和60年前後の洋酒たちでした。

奥様曰く、そのほとんどがお中元、お歳暮、寒中見舞いに暑中見舞いなどの類だそうです。

御父上のお取引の上で頂いたものの、今日まで、30年前後の間、こちらでひそかに年月を重ねた物とのこと。

しかし、これだと評価出来る物が少ないのが現状なんです。


スコッチウィスキー【ボウモアバイセンテナリー】との出会い

そしてなんとか探し当てたのが此の一本。

スコッチウィスキー【ボウモアバイセンテナリー】

スコッチウィスキー【ボウモア1964・バイセンテナリー】

私の好きな1本とここで出会うとは。
コンディションも良さそうで、且つ、未開封でした。

未開封

このボウモアは古酒をコレクトするユーザーからは根強い人気を誇ってるんです。

ボウモアはその優雅で気品溢れる華やかな味わいから

「アイラウイスキーの女王」

と呼ばれ、広く親しまれています。

そして今回のボウモアはちょっとプレミアもの。

このウィスキーの製造元のボウモア蒸留所の創業開始200周年を記念して、1979年に限定製造されたウイスキーなんです。

1979年に限定製造されたウイスキー

その本数は全世界で24000本限定。

このボトルには

  • ノンヴィンテージのもの
  • 1964ヴィンテージ表記

のものがあるんですが、なんとヴィンテージ表記のもの

ヴィンテージ表記

またボトル自体も、丸みを帯びたハンドブラウンボトルと呼ばれるものと、四角張った角瓶と呼ばれるものの二種類があるんですが、今回は前者です。

これに出会えて一安心です。


独自の査定で高額買取

狭くて細い階段を何回往復したのかわかりません。

例のごとく、私の体は汗まみれ、最終的には長袖のTシャツ一枚という状態に(笑)。

今回の作業はおおよそ2時間くらいだったんですが、
別の部屋を片付け・整理中の奥様もちょっとだけ手伝って頂きました。

全ての作業が終わり、今回の引き取りに関する支払いを終えた後、奥様と茶の間で束の間の談笑。

奥様の好きなどら焼きと、ちょっと濃いめの緑茶が私を迎えてくれました。

そしてそれを飲み、更に汗をかきながら奥様のお話に聞き入りました。

帰り際、奥様から

「ありがとね!」

の一言。

車に乗り込み、バックミラーを見ると、
笑顔の奥様がまだ手を振って見送ってくれてました。

小石川にお住いのU様、この度は御父上の大事な遺品を引き取らせて頂きましてありがとうございました。

アメリカ・イングラハム社製のダルマ時計との出会い|文京区千石で古い時計の買取回収

, , , , , , ,

文京区千石にて不用品の整理・片付けの依頼

「これから引越しなんですか?」

「そうなのよ。でね、そんな遠くない場所」

一連の電話のやり取りで伺うことになったH様のお住い。

文京区白石の白山通りから千石一丁目の交差点を右折し、ちょっと入り組んだ道沿いに佇む、おそらく築60年は経過している古い木造のアパートの2階にお邪魔してます。

今週の土・日に引っ越しのご予定で、不用品の処分、そして買えるものは買って欲しいというご依頼。

恐らく60は越えたかどうかの、元気な肌艶のよろしいH様にお出迎え頂きました。

今のお住いから、徒歩5分圏内にある、東洋女子高校付近にあるマンションに移られるんだそうです。

年齢も年齢なので、息子夫婦の配慮で一緒に生活することになったんだとか。

1月の中旬から、なんとか一人で整理しようとお考えだったらしいんですが、女性お一人での作業、当然のことながら苦労の多さはすぐに分かります。


古い家具の搬出や古本の整理・片付け

かなりのボリュームの不用品が有りました。

布団、衣類、アルバム類に古い家具。

また、本棚にはびっしりと本が詰まっている状態だったんで、重い本を箱に詰めるのが結構しんどいんはずです、特に女性には。

 

3時間ぐらいの作業でした。

 

2月のこの寒い時期に私のシャツは汗で肌に張り付いてます。
額から落ちる汗をなんどか持参したタオルで拭く始末。

本来なら、幾らかの手間賃を頂かなければならないケースかも知れないことを、喉元でグッと堪えながら(笑)

そして荷物を積み終え、「あの話」をしなくてはいけません。


イングラハム製のダルマ時計との出会い

作業の終盤に差し掛かったタイミングの時の話。

とある1室の押し入れから出てきた「ある物」との出会いです。

それは

イングラハム製のダルマ時計のこと。

アメリカ・イングラハム社製のダルマ時計

恐らく大正・昭和前期頃に製造されたものだと思います。

ダルマ時計とは振り子時計の事を意味するんです。
ガリレオ・ガリレイが発見した振り子の等時性を応用して作られた時計。

ダルマ時計の振り子

そして今回のイングラハムは家具職人としてスタートしたエリアス・イングラハムが会社を設立し、バラエティーに富んだ時計を世に広め人気を博したんです。

イングラハム社製

そしてこのような時計の場合って、「状態」が最重要視されるんです。

例えば、

  • 汚れ
  • ホコリ
  • 欠け
  • 割れ
  • ヤニ

など。

古時計の査定でこういった状態が少しでも見つかれば、確実にマイナス評価なんですが、そちらも最小限にとどまり、なかなか悪くないコンディション。

そんな出会いが先ほどあったんです。


お父様の遺品を独自の査定で買取

そこで、額の汗に手をやりながら、それとなく

「これってどうします?」

と、聞かせてい頂くと、

「これね、私の父ちゃんのやつなんです」

数年前に亡くなられた、父上の遺品だそうです。

動いていませんが、買えば結構な品物だと思います。それなりに頑張り、本日私が支払い可能な金額を申し上げました。

すると、私の一連の片付けの作業を気に入ってくださったようで、あんたなら持ってってもいいよ、なんて粋な言葉を頂戴しました。


帰り際にしばしの休憩

作業も終え、帰り支度をしていると、

「ちょっと、お茶でも飲んでいきな」

とこれまた粋な計らい。

葛飾柴又で購入された、とらやの芋羊羹と温かい緑茶を飲みながらしばしの一服。

話を伺ってると、お父様が亡くなった後、介護疲れと心労でちょっとお身体の調子が悪くなったんだとか。それを心配した息子夫婦の気遣いだったんだそうです、今回の引っ越しは。

奥様の御健勝、御長寿、ご家族様のご健闘お祈りいたします。

ダルマ時計、大切にさせて頂きます。
有難う御座いました。

生前整理で出会った100年前のコダック製フィルムカメラ|文京区本駒込にて古いカメラの買取

, , , , , , ,

この街は私には思い出のある街の一つです。
街並みはすっかり変わりましたが。

今日私がお尋ねした、本郷通りから吉祥寺の交差点を左折した細い通り沿いにある、文京区本駒込のG様のお宅。

私が個人的に好きな街の、恐らく幾多の時代を乗り越えた歴史を感じるG様のお住い。

この寒空の中で、とてもホットに迎えて下さいました。


施設に入居前の生前整理

今、ちょっとした流行になりつつある

【生前整理】

をされたいとのことでお邪魔いたしました。

冬物の和服のお母様と、背の高い男性、そしてお孫さんかなと思います。
その中でお母さまの優しい笑みにくぎ付けになりました。

なんと御年84歳になられるんだそうです。

何もかも許してくれそうな、そんな包容力に包まれつつ、お茶の間へ。

ご丁寧にお茶を準備頂いてました。

 

「母が、施設に入居することになりまして」

 

背の高い男性が、今回の生前整理に至るまでのストーリーをお話しくださいました。お話を伺ってる中で、お話しくださった男性は息子様で女性の方はその娘様だそうです。

埼玉県の川口市からお越しとのこと。

施設入居に伴い、こちらのお住いを売りに出したところ、
去年の年末に買い手が決定して売却されることに。

それに伴い、この歴史のありそうなお住いを解体するんだそうです。


コダック製フィルムカメラの買取

コダック製

そこまで間取り的には広くないんですが、コンパクトな室内はしっかり整理がなされてます。

部屋の中には古い箪笥やテーブル、そして本棚など。
想定していたより、ちょっとボリュームがありました。

そんな中見積もり中のさなか、本棚の中の美術全集の横に置かれた、とあるカメラが気になって仕方有りませんでした。

5年前に他界されたご主人様の遺品でした。

コダック製のフィルムカメラ「オートグラフィック」

カメラのレンズ

かなり程度の良い物だったんですが、おそらく今から100年前に製造されたタイプと思われます。

このオートグラフィックは1914年頃に発売されたはずです。
乳剤塗布面は意外ときれいで、保存状態の良さがうかがえました。

この手のカメラは世界中にいる愛好家の中でもヘビーユーザーに特に需要が高い機器。

ご主人がお仕事の関係で、アメリカに滞在中に購入された物なんだそうです。

このカメラを見ては、当時の思い出話に花を咲かせたそうです。その嬉しそうな顔は、奥様もいまも思い浮かぶとおっしゃってました。


思い切った買取査定

話を伺いながら嬉しそうに話される奥様。

既にお伺いして2時間が経過する中で、次の現場のことが頭をよぎります。

すると、

 

「これも、あっちに持っていけないから」

 

と、思ってもみなかった展開に。

正直、今日は見積もりだけと思っていたんですが、なかなか出会うことは無いカメラに私の財布の紐が大きく緩んだのは言うまでもありません。

心地よくお譲り頂いた、お母様と息子様、そしてお孫様、有難う御座いました。


お住いの売却に伴う不用品片付けはお任せ

お住まいを売却なさるとのこと、かなりの物の整理が残ります。

2月の中旬までお時間頂きました。

一生懸命頑張らせて頂きます。

吐く息が午前中より白くなってくる時間帯。明日から都内は雪なんだそうです。そんな天候とは無縁の、昔の思い出をお譲り下さったG様、有難う御座いました。

純銀製の三組御弁当箱の引き取り|文京区大塚にて銀製品の買取回収

, , , , , ,

今日は雪の日の買取です。

恐らく午前中の10時くらいに、ぽつらぽつらと雪が舞い始め午後の14:00には風にも影響されて、横殴りの雪になってました。

その影響なんでしょうか、普段はスイスイと通り過ぎる明治通りは、
年末年始を思わせるくらい流れが悪かったです。

雪の影響か人影も本当にまばら。

人の姿が目につくのは、コンビニ駐車場あたり。

この寒空の、今シーズン一番厳しい寒さの中で、私は相変わらずの物探しです(笑)


文京区大塚のお客様からのご依頼

「あのね、片づけたい物が有るのでお願いできますか?」

文京区大塚のH様からのお電話を頂いたのが先週の金曜日。ちょうど大相撲の稀勢の里が寄り切られて休場になった一番のあと電話がなりました。

そんな訳で、私の車は人影まばらな明治通りから不忍通りを経由。

そして白鷺坂を過ぎ、ご依頼をくださったお目当ての、非常に閑静なH様宅へ。


不用品の片付けからスタート

「今日はよろしくお願い致します。これから雪が凄いみたいですね」

お出迎え頂いたのは50代とお見受けする男性の方。オールバックでちょいとお洒落なメガネをかけており、ダンディズムが溢れてます。

聞くと地方銀行の営業マンをされているんだとか。

どうりで洒落た雰囲気が出てると思いました。

なんでも有給休暇を利用して、お住いの千葉県船橋市から、こちら大塚の実家の整理をされているんだそうです。

そんな訳で、早速不用品の片付けのスタート。
まずは2階の和室からの整理・片付けです。

亡くなったお父様が、お医者様をされていたとのことで、かなり古い学術書など本の整理から作業を始めました。

 

そこから、2階の寝室へ。

 

使用感の見受けられる全身マッサージなど数点の家電を1階に下ろします。ほぼ氷点下に近い寒さの中で、額から季節外れの汗が吹き出しました。

どうしましょう、今日は変えのTシャツが無いんだよな、と心中でひとりぼやき。


純銀製の三組御弁当箱の買取

順調に作業も進み、1階の各部屋の整理に入ります。

ここまでの作業で、大分体力を消耗してましたが、
それに見合ったモノが見当たらず、普段よりも疲労感が出てました。

そんな中で、茶の間で畳の上に出された古い贈答品の山の中から見つかったのが、純銀の三組御弁当箱でした。

「あのう、これも要らないんですよね?」

立派な銅箱の中に、ひっそりと収められてました。

銅箱
多少ですが銀特有の汚れが有ります。

これはいわゆる酸化による「錆び」ではなく、「硫化」という現象です。ちなみに銀を酸化させるのは自然界では大変難しく、しかも黒くもなんです。

純銀製の三組御弁当箱

重さは合わせて約400gくらいでしょうか。

なかなかお目にかかれない代物なんで、どこにでもある物ではありません。

 

「これは以前亡くなった父が、何かの祝い事で頂いたものなんです」

 

医者という職業柄、様々な繋がりで贈答品を頂く機会が非常に多かったそうです。

亡くなって、6か月が過ぎたそうです。

このお弁当箱を見ると、仕事や会合やらで忙しかったお父様を思い出すんだとか。
そして、もうちょっと、色々としてあげたかったと・・。

そんな思い入れのある弁当箱、丁重にいただきました。ほかに頂いたさまざまな物達のお値段を、この弁当箱だけで超えてました。

このよなストーリーのある品を頂くと身が引き締まります。
しっかりと思い出の品、大切に扱わせて頂きます。


銀製品など買取りの強化中です

午前中の作業から15:00までかかった作業。
外を出ると、あたり一面が銀世界に変わってました。

帰りの明治通り。
ほとんど人が歩いてません。

「本日は早めのご帰宅をするよう推奨いたします」

ラジオから注意喚起する内容のコメントが頻発してます。
少しの焦りを感じつつ、運転は冷静に。

買入本舗では、今回のような銀製品の買取を強化しております。

年数が経過していると、劣化していて「値にならない」なんて思う方も多いと思いますが、状態によっては高価買取の事例も沢山あります。

お気軽にご連絡下さい。

真鍮製のサモワールと古い灰皿セットとの出会い|文京区本駒込でアンティーク品の買取

, , , , , , ,

本日お伺いしたB様は、
戦後間もなくにお生まれとの事でした。

今日はそのB様の娘さまからご依頼を受け、文京区本駒込に来てます。

秋の本駒込は、私の好きな街のひとつ。道路沿いの並木は、気温の低下とともに紅の様相に様変わりするでしょう。

 

娘さまは、お父様を介護なさってるとのことで、この時間(14:00)はB様が信頼しているデイサービスに行ってらっしゃるんだそうです。

その間に、私を呼んで下さりました。

 

なんとなく、介護をしている人間のみ知りえる、それなりの疲れを私なりに感じてます。

「私も母の面倒見てるんですけど、大変ですよねぇ」

そんな言葉が自然と出てきて、暫し、お互いの介護談義。

最近のお父様は、介護士との方とのおしゃべりの方が話が盛り上がるんだそうで。一瞬、仕事のことを忘れ話し込んでしまいました。

 

古い倉庫内で真鍮製のサモワールと古い灰皿セットとの出会い

そんなB様のご依頼は、敷地にある倉庫内の古い物を見て欲しいとの事。

今回は最近購入されたばかりのスマホでうちのつたないホームページをご覧くださって、
何と無く整理をしたくなったんだそうです。

重そうな木の扉を開けて中に入ると、この残暑とは似つかない、なんとなくひんやりとした倉庫内。

長い間、整理や片付けは行ってないと一目で解りました。

力なくぶら下がっている裸電球に灯を入れると、まるでご主人の帰りを待っていたかのように、あたりの「古いものたち」の存在感がグッと増し始めました。

時代の流れを感じる、古い柱時計、花瓶、食器、木製の家具などが、倉庫の奥までぎっしりと積まれてました。

保存の状況が思わしくなく、かわいそうな子達がたくさん見受けられました。

 

幾ら眺めてもこれはと思われる物には出会えませんでした。今日一日での整理は至難の業と判断しました。残念ながら。

取り急ぎ、今日私と共に豊島区に一緒に連れて帰ることになったのが、写真のサモワールと古い灰皿たち。

真鍮製のサモワール

いずれも真鍮(しんちゅう)製です。

真鍮製の灰皿セット

真鍮とは、いわゆる黄銅の事です。銅と亜鉛の合金になり亜鉛の比率が20%以上のものをいうんです。

このいでたちと、柄の感じ、出所はおそらく台湾か中国だと思います。

真鍮製の灰皿

柄

実はこのB様のルーツに中国・満州に関する時代があったんだと、娘さまがおっしゃってました。

あまり話したがらない様子なので、あまりその話には触れませんでしたが。

この手の物達は、早くのこの平成の世を見せてあげねば、そんな想いが私の査定を甘くしてしまったのか、後から後悔するレベルの買取になってしまいました(笑)

 

それはさて置き・・。

 

ITの登場により急速に進み続ける日本の文化、空気が「この子たち」の存在を受け入れなくなってしまうような気がしてなりません。

不用品の処分中に出会った古銭や「東京オリンピック」の記念貨幣との出会い|東京都文京区にて買取と処分

, , , , , ,

今年に入り、スポーツ界ではいわゆる

「パイオニアの引退」が相次いでます。

最近だと、フィギュアスケートの浅田真央ちゃん、女子ゴルフの宮里藍選手なんかがあまりにも有名ですよね。

わたし、どちらの選手も好きなんです。

だって引退会見なんか見ていても、スポーツマンシップに溢れていて、それでいて潔い。引退に至った経緯を責任にもせず、単純に力不足と言い切る姿勢に、ちょっとした「武士道」の精神を垣間見えたような。

だめですね、年を重ねるとこんなことでも涙もろくなる(笑)

いずれにしても瞳を閉じれば、両選手ともにピークを迎えてた頃のハイライトが鮮明に思い出す事が出来る稀有な存在。

これからも彼女たちをテレビで見ればその頃の思い出が蘇るんでしょう。

 

それは人間だけでなくて物でもそうです。
今日、そう思わせてくれる懐かさにあふれた出会いがあったんです。


遺品整理に伴う不用品処分の依頼

そんな出会いのきっかけは、先週の土曜日の夕方。

この時期特有の鮮明な青空から、地平線に日が落ちかけた何とも言えない「色合い」を眺めているときに、携帯が鳴りました。

「亡くなった祖父の、遺品の片づけをお願いしたい」

そんな内容の電話でした。

少し急がれているような、なんとなくそような印象。なんでも、お電話いただいた方の祖父が最近お亡くなりになり、遺品の整理・片付け中なんだとか。

物量もかなりあるとお見受けしました。

というのも整理をされてからすでに2週間が経過してるとのこと。そうなんです、遺品物の整理・片付けは少なからずとも「感情・思い入れ」が介入してくるんです。

過去にも数多くのこのような案件を見てきましたが、ほとんどの方がこのような状態になります。わたしたちは、そのような方と一緒に仕事するときは

「単なる片付けではなく、故人と向き合いながら心も整理する」

そんな意識を持ちながらこれまでお手伝いしてきました。


アジサイが咲く、小石川での作業

アジサイの花

場所は、文京区の小石川。

白山通りから丸の内線の「後楽園駅」方面に向かい、お目当てのお客様宅へ。

目の前に「善光寺」というお寺さんがひっそりとあります。黒い喪服を着てるご家族が歩いてましたが、おそらく法事でしょうか。お子様が着慣れない服を着て、兄弟とじゃれあってます。

そんな様子を見ながら、カーナビが示す目的地にたどり着きました。

お庭には綺麗なアジサイの花が「どうだ」言わんばかりに咲き乱れてます。

 

「先日はお電話でありがとうございました」

お電話での声とのギャップに驚きました。お付いた雰囲気の声だったので、40代くらいかなと思っていたんですが、まだ30代で亡くなった方のお孫さんでした。

買入本舗のことはチラシを見て知ったそうです。

さっそく、お部屋にご案内頂き、亡くなったおじいさまのお部屋へ案内頂きました。

畳の和室。

遺品整理

畳の、あの独特の香りが鼻いっぱいに広がり、なんとなく懐かしいような。そんな感情に見舞われました。お部屋は段ボール箱などがおいてあり、おっしゃっていた通り作業の途中のようです。

「押し入れや、タンスなんかはまだ手を入れてないんです」

そんなお話を聞きながら、まずは途中で止まっていた段ボールを拝見させて頂きました。よく要領をわきまえており、処分するものと、また今後残していく判別がしっかりと出来てました。


昭和の古銭と記念貨幣との遭遇

東京オリンピック記念貨幣東京オリンピック記念貨幣

作業の中盤に差し掛かり、押し入れの中を整理していたとき、クッキーなどお菓子を入れるアルミ箱がひっそりと置いてあります。
持ち上げると、クッキーのそれとはまったく異なる重さ。

「ジャリ、ジャリ」

おもむろにその箱を持ち上げたときに、こんな音がしました。直観的にコインか何かかと思い蓋を開けてみると、綺麗に分別されたコインが現れました。

「昭和の古銭」、
そしてひと際目立っていたのが東京オリンピックの記念貨幣。

見た瞬間に、パッと記憶がよみがえりました。
幼少のとき、開会式をみて衝撃を受けたあのパレードが、鮮明に。記憶のフラッシュバックにより手が止まってました。

なにより、驚いたのは保管状態。

おじいさまがかなり大事になさってたんでしょう。コンディション的にも過去最高クラスの状態とお見受けしました。

古銭そのものの価値と、記念硬貨のプレミアもあるのでかなりの価値があります。

特に、記念貨幣は、日本で初の記念硬貨となった第18回夏季オリンピック東京大会のコイン。

初の民間委託による製造や初の1000円銀貨の発行など、初づくしのこの記念コインはその後の貨幣収集ブームのきっかけともなり、1000円銀貨は一時期2万円を超える高値にまでなるという人気相場をつくったんです

日本の経済発展の象徴といえる歴史的価値の高い硬貨。

この出会いは、わたし個人の2020年の東京オリンピックへの架け橋なんでしょうか(笑)そんな運命的な出会いもありましたが、メインは遺品の整理。


想いでの品を買取させて頂きました。

昭和の古銭

作業も順調に進み、無事おじいさまの部屋を片付けることができました。

そして、あの古銭と記念貨幣はというと。

おじいさまの想いでの品ではあるんでけど、残しておいても‥とのことで今回わたくしの方で買取らせて頂きました。

「おじいさまの、オリンピックの記憶、大切に預からせて頂きます」

お礼をして頭を下げたとき、額から汗がしたたりました。
それを見たお孫さんがタオルをくださいました。

「いえ、助かりました。誰かに背中を押してもらわないとたぶん進まなかったと思うんで」

そんな感謝の言葉を頂き、お客様のお宅を出ると、先ほどのアジサイがこちらを見てました。

わたしが、浅田真央ちゃん、宮里藍ちゃん、そして今日であった記念貨幣を見たときに思い出が蘇るように、この花をみて何かの想いでがよみがえる方もいるんでしょうね。

「物より思い出」

そんな言葉が一時はやりましたが、はたしてそうなんでしょうかね。
物にだって思い出はいっぱりありますよ。

わたしの中で、2017年6月12日も良き思い出となりました。
K様、この度は買入本舗をご用命頂いたこと、感謝申し上げます。

文京区大塚の買取。13代柿右衛門の酒器セット

, , ,

文京区大塚の買取

「失礼ですけど、戦後ですよね?」

「そう。ギリギリねっ」

勇気を出して尋ねてみました。今日のお客様、文京区大塚にお住いのA様。恐らく、お一人暮らしのご様子。                                                                                                                                                                           昭和20年11月のお生まれだそうです。まさしくギリギリの戦後生まれの方でした。

そろそろ、身の回りの整理を始めたいと言う事で、本の整理をして欲しいとの事。                                   美術全集、土門拳の写真集、その他、女性の細腕には荷が重い、昔流行ったハードカバーがかなりの量。正直私も、到底欲しいとは言えそうもない品物達です。正しく整理のお手伝いです。

マンションの10階、女性一人ではかなりしんどい作業です。

私の額に薄っすらと汗が滲み始めた頃、「ついでにこれもお願いします。」

13代柿右衛門の買取

テーブルの上に目をやると見慣れた桐の箱が5つ、6つ。13代柿右衛門の箱書があります。数の多いシリーズですが、私の好きなアイテムです。

13代柿右衛門

13代柿右衛門

13代柿右衛門

13代柿右衛門

ついでに食器棚の中のもいいわよと言われて、オークラのカップソーサー、源右衛門の小鉢、バカラのロックグラスなどを頂く事になりました。

「頂いて行っちゃって、いいんですか?」

「もういいのよ。何となく。早めに整理しようと思って。」

重い本の整理が余程気に入ったご様子で、私の買取金額も、手でさえぎりながら、「そんなにいらないから」との事でした。

帰りの車、本の重さでタイヤが泣いてました。何と無く秋模様の今日の大塚の買取でした。文京区大塚のA様、有難うございました。

買入れ本舗では、古い物、古美術品の買取をさせて頂きながら、皆様の身の回りの整理のお手伝いもして居ります。                                                                                                                                                           どうぞお気軽にお電話下さい。➿0120-5394-55

 

ゴールデンウィーク、文京区本駒込の買取。【純銀】の【ボンボニエール】。

, ,

ゴールデンウィークの買取です。

暦は平日でも車の流れは全くのゴールデンウィークでした。
場所によっては人影が本当にまばらです。
人の姿が目につくのは、ATMの前あたり。

ゴールデンウィークとは縁が疎遠な私は相変わらずの物探しです。

「片づけたい物が有るのでお願いできますか?」
文京区本駒込のH様からのお電話で、私の車は、人影まばらな明治通りから白山通りへ。
案の定、巣鴨の地蔵通りは人であふれてました。
たぶん人出の多いであろう、六義園の脇を過ぎ、お目当ての、とても静かなH様宅へ。
お休みを利用して、実家のお荷物の整理に神奈川県からお見えとのこと。

純銀のボンボニエールの買取。

畳の上に出された古い贈答品の山の中から見つかったのが、このボンボニエールでした。
「こちらも要らないんですか?」

箱は有りませんでした。
銀特有の汚れが有りました。
有るところには有ってもおかしくありませんが、どこにでもある物ではありません。
目の前のH様が手にする物にしては、H様のお顔が少しお若すぎるような気がします。

純銀のボンボニエール

純銀のボンボニエール

「以前母が、お友達から頂いたものなんですが、私はいりません」
お母様が亡くなって、一年が過ぎたそうです。
ご苦労様です。

丁重にいただきました。
ほかに頂いたさまざまな物達のお値段を、これ一つで超えてました。

確か依然、何かの写真で目にした記憶が有ります。

探し当てると、雅子妃のご成婚の記念の御下賜品のおひとつでした。
鴛鴦に菊の紋章の純銀のボンボニエール。
その中の一つが、23年の歳月を経て、なぜか私の手に渡ってきました。

大切に次の方への橋渡しをさせて頂きます。

私のお店は、たまたま、23年前、雅子様のご成婚の日に開店いたしました。

ボンボニエールフランス語: Bonbonnière)は、もともと砂糖菓子(ボンボン菓子)を入れる容器を指す語[1]。「ボンボン入れ」[1]
ヨーロッパでは子供の誕生祝いや結婚祝いなど慶事に際して砂糖菓子が贈られることが多く[2]菓子を納めるボンボニエールにも記念品としての性格が生じた。日本では近代以降、宮中宴会の記念品(引出物)として配布される意匠を凝らした菓子器・工芸品がこの名で呼ばれる[3]

(ウィキぺディアより)

文京区小石川の遺品整理で、中国切手の買取

, ,

文京区小石川、播磨坂の近くで

丁度、1週間前の火曜日。
桜の咲き誇る頃、父上の遺品を整理したいと言うご依頼で、御見積りにお伺いした、文京区、小石川の播磨坂のお近くのA様。
今日の昼近く、お電話が有りました。お待ちしてました。 🙂
寂しくなった、桜並木を横目に、風の冷たい今日の午後、再び、お邪魔をさせていただきました。

中国切手の買取

前回、是非、譲ってほしいと申し入れた中国の切手が有りまして、ご家族でご相談の末、手放してもOKとの事で、本日頂く事になりました。

 

中国切手の買取

中国切手の買取

何枚かはご家族の手に渡ってしまったそうです。
一時の熱気が冷めたとはいえ、私たちの中でも結構欲しがる人の多いアイテムの一つです。

前回は確か、古い着物とか、二階の本棚から、かなりの書籍の整理のお手伝いをさせて頂きました。
前回申し上げておいたこちらの価格で、気持ちよくお譲り下さいました。
前回と同じような、爽やかな対応をして頂きまして誠に有難うございました。
かなりの枚数が有ります。今日は嬉しい買い物でした。

桜には可愛そうな今日の冷たい風でしたが、お蔭さまで私は、心地よく小石川の播磨坂を後にする事が出来ました。

先週の桜の一場面です。

IMG_3356

 

文京区小日向での遺品整理、【木の看板】の買取でした。

, , ,

文京区小日向の遺品整理

茗荷谷駅から下った文京区小日向の一角。

たまに訪れると、このあたりは道の狭さと、道路工事の多さで結構往生したりします。

やっとの事で、細い坂を登り切り、目の前の信号が赤から青へと変わるのに合わせて首をのばすと、そこはまさしく、春日通りから、播磨坂の桜並木に出られるあの信号でした。

今日、私の車には、木製の古い看板が乗ってるだけです。先程、小日向の今日のお客様、M様から頂いた古い看板です。

父上が亡くなられて遺品を整理した所、本棚の奥から出てきたとの事です。私はおびただしい数の、本の無い木製の本棚が気になりました。

案の定、本はすでに処分された後でした。物との出会いは全て縁のなすものと分かっていても、売却で頂いたという金額をお聞きすると、心が悲しくなります。寂しくなります。折れそうになります。其処に置かれていたであろう物達の姿が浮かべば浮かぶほどそうなります。
私が欲しがるジャンルがかなりあったような気がします。

古本、古書はお任せ下さい

古い本など、お持ちの方、是非、私を呼んで見て下さい。
お値段は間違いなく納得して頂ける自信が有ります。
いらない本の処分は誰にも負けません。

結果、今日、私が頂けたのは、この古い木の看板達でした。

これも私が好きなアイテムです。

津村順天堂の中将湯

津村順天堂の中将湯の看板でした。かなり古い物ですが、この薬が今でも売られている事に驚きました。

もう一つ頂いた看板の薬、安神湯、これも今でも売られてました。

安神湯の看板

安神湯の看板

おそらく100年くらい前の看板ではないかと思います。薬害とか副作用とかが声高く報じられる今でも頑張ってるこんな薬、私は使った事は有りませんが、感服です。

信号を左折すれば帰り道ですが、折からの春の気候に誘われた桜を眺める人たちの群れにひかれて、信号を直進し、3分も有り5分もある、久しぶりの播磨坂の桜を眺めて帰る事にしました。

3月の最後の日、暖かい日差しと、染まりゆく桜と、のどかな人波で、明日への力を頂いたような気分です。

中将湯とか、安神湯とか、結構お世話になった方々がいらっしゃるような、窓から見える、今日の人の波でした。