港区麻布台の買取。狛犬か唐獅子か?

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港区麻布台のお客様

新一の橋の信号を過ぎ、赤羽橋を左折、飯倉の信号を左折して、飯倉片町の信号に至る四角い地域、この地域は、何と無くどんな方たちが住んでるのやらと言う、私にとっては、何と無く近づきにくい雰囲気が有ります。中には、狸穴なんて、何と無く昔懐かしい地名などが残っていたりして。

今日のお客様は、その四角の中に有る、狸穴公園からすぐ近く、麻布台にお住まいのK様ご夫妻でした。

こちらのマンションの2階に移られたばかりで、引っ越し荷物の整理の真っ最中で、不用になった段ボール箱をなんとか処分したくて私にお声を掛けられたそうですが、いくらなんでもここまで来て、空の段ボールだけを車に積んで帰るわけにもいかず、私を呼んだ訳はまさか段ボールだけではないでしょうという事で、やっとの事、不用になった品物の品定めに入りました。

出て来たものは古伊万里の大鉢大皿

長年、居酒屋をやってらっしゃるというご両人、出された物は所謂、古伊万里の大鉢、大皿、絵皿等。

この手の物、一時に比べて欲しがる人が少なくなりました。

お部屋の中に見える、漆塗りの李朝の箪笥、日光彫のチェストに小箪笥。

こちらはまだ手放すつもりは有りませんとの事。

出て来た二匹、狛犬か唐獅子か?

壊れかかった李朝の上蓋を開けて現れたのが、この、石の狛犬、二体です。体重はかなりの物です。

この2匹、もし話が合えば、私が連れて行ってもかまわないとの事。

私たちの仕事で一番大事で難しいのがお値段です。

欲しい人にはお宝でも、逆の人には、無用の長物。

今回の狛犬もまさしくそのようなアイテムです。

評価できるのは、どこでいつ頃生まれたかです。

本体に刻まれた細かい模様が気になりました。

日本で生まれたものではないかもしれません。
狛犬と言うよりは唐獅子の様な気がします。

狛犬か唐獅子か?

狛犬か唐獅子か?

一筋の希望と、見えないリスクを胸に、K様に、お値段の提示です。

K様は、何の未練もないとの事。父上の頃から一緒にいたというお話が私には興味が有ります。お値段はすぐにまとまりました。

私のはかない夢と希望を載せて、狛犬を連れて帰る事になりました。段ボールの山と一緒に。

最初お会いした時、私よりは老けて見えたK様、実は私よりいくらかお若い方でした。
階段の2階から100枚程の空の段ボール箱を下ろすのを一生懸命手伝って下さいました。
階段ですれ違った若くてきれいな女性がじっと我々を見つめてます。
私には振り向く余裕もありません。

私は早く戻って、狸穴公園の近くで出会ったこの2匹が、犬なのか獅子なのかを知りたいのです。

 

豊島区長崎のお客様。【大塚家具】、【ブランド食器】の買取

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豊島区長崎のお客様

グレーの雰囲気に包まれた、仲の良さそうなご夫婦が、昼下がりの店先で、スマホの画像をかざしながら、こんなキュリオケース、買って欲しいんですけどと、私の顔を覗いて下さいました。ご夫婦の雰囲気そのままの、可愛いケースの画像が何枚か。
ケースのガラスが私を誘ってます。
前面に可愛いステンドグラス。

お店のすぐご近所、長崎の静かな住宅街にお邪魔しました。

大塚家具のキュリオケースの買取

大塚家具で買ったのよと言う、そのケースは、小ぶりでかわいらしく、何で?これを手放すのですか?の私の問いに、空いた場所に水槽を置いて、メダカを飼いたいの!。

何というご余裕。

キュリオの名の通り、中のガラスの棚には、切子のグラス、ヘレンドロイヤルコペンハーゲンのカップソーサー、下の段にはヘネシーのXO、洋酒の数々。

最初、長崎のS様ご夫婦は、キュリオケースを処分し、中身は手許に置かれるつもりだったらしいんですが、私の執拗な申し出に、お二人で何度も目を合わせながら、最後は結局、しぶしぶと、中身ごと頂ける事になりました。
丁度お店のケースで、ヘレンドとコペンハーゲンが不足していたところでした。

問題はお値段です。

無理して手放したくはないS様。S様にしては、ご不満かも知れませんが、一生懸命頑張らせて頂いた私の申し出に、快くうなずいて下さいました。

お二人の気が変わらぬ内と、急いで店に戻り、梱包材と、段ボール箱の用意。

正直、今回の様なアイテムは、利益を出しにくい物です。
然し、まさしく桜の花が今かと色めく今日の様な日に、特に、ヘレンドの中でも、美しい花と植物と蝶達に彩られた、ヴィクトリアブーケシリーズのカップソーサ―たちは、私にはとてもうれしい買い物でした。

それとヘネシーのXOも。1リットル物でした。

ヘネシー XO

ヘネシー XO

豊島区長崎のS様、大塚の家具の可愛いキュリオケース、ヘレンド、コペンハーゲンのカップソーサー達、大切に可愛がらせて頂きます。

本日はわざわざ、お店まで足を運んで頂きまして誠にありがとうございました。

キュリオ(curio)とは骨董品のことで、キュリオケースとはそれを陳列するケースのこと。 多くは、内部背面が鏡面仕上げになっており、ガラスの扉が付いている。 一般には、高級な飾り棚をキュリオケース、又はキュリオキャビネットと呼ぶ。
家具辞典より引用

 

豊島区高田で、[和家具]の買取り。[カリモクの回転椅子]でした。

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桐箪笥、和家具の買取り

今日お会いしたお母様もまさしく、個性の塊みたいな方でした。

少なくとも、2時間はご一緒させていただきました。

昨日のお電話で、桐の箪笥は駄目かしらというお伺いをお聞きして、訪ねて、現物を確認させていただきましたが、矢張り、駄目でした。

駄目という事は、私達の手を通っても、更なる新しい利用者を探し出すのが困難な品物だと言うことです。

そこの所はすぐに納得を頂き、次に、私からいつもの様に、何かご不要な物は御座いませんでしょうかで、連れて行かれたのが、短い階段を上がった所謂、納戸です。

此処は豊島区の高田、やがて華やかな桜の季節を迎える、神田川のほとりの、新目白通りと明治通りの陰に隠れそうな細い路地の奥の3階建のY様のお宅です。

一階から20段の階段を上って、更にその上、18段を上った所で今日のY様とお会いしてます。

こちらに嫁がれて半世紀が過ぎたそうです。

多分、毎日、この階段と戦って来られたと思います。

50年の年輪の刻まれたお元気なお顔は輝きに満ちております。

未だ未だヤル気十分とお見受けしました。

様々な趣味の遍歴の後、今は社交ダンスに、 没頭とのこと。

いろんな趣味があるけれど、これは、自分の体だけあれば良いとの事。

そんなY様に連れられた階段の奥の納戸には、

古いオーディオ、旅行カバン、家具等がギッシリ。

「これを片付けたくて、貴方を呼んで見たのよね〜今日は。」

当然ですよ❗️

カリモクの回転椅子の買取り

これでは、モノが可哀想。

それで、

取り敢えず助け出したのが、この日本の和家具の一流メーカー、カリモクの回転椅子でした。

私と出会った時には埃だらけでした。

今は、こんなに綺麗に変身しました。

立派な看板も付いてます。

カリモクの回転椅子

カリモクの回転椅子

未だ未だ何処かに嫁入り出来そうな立派な品物です

3階のお部屋に戻り、Y様の半世紀の人生の一こまを、お茶を頂きながら伺いました。

隣のお部屋の写真の中から、旦那様がこちらを見てます。

今日、伺ったY様のお話は、大変素晴らしいことばかりでした。

旦那様のご趣味も、素晴らしいものでした。

伺えば伺うほど、羨ましい限りです。

具体的に綴れないのが辛いところです。

好きな事をやられて、今は、写真の中から、こちらを眺めていらっしゃいますが、こんな素晴らしい奥様と出会えたりして、素晴らしい人生を送られたんではないかと思います。

今日は、カリモクの椅子の他にもいろいろ頂きました。

長い階段、下まで一緒にお荷物を降ろして下さいました、何時迄もお元気なY様、本日は、有難う御座いました。

 

 

 

 

 

 

神奈川県葉山町、「リトグラフの買取」。「ピカソ」のリトグラフ

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今日は神奈川県の葉山町です。

神奈川県葉山町のT様ご姉妹、今日は、お呼びに預かり有難う御座いました。御蔭さまで久しぶりに、葉山から逗子への海風に当たる事が出来ました。
西池袋の入り口から中央環状線に吸い込まれ、羽田を横に見ながら横横道路を縦断の、距離は85キロ、時間にして1時間半のドライブも間もなく終わり、葉山の御用邸を右に見ながら、再び山の方にハンドルを切ると、長い歴史に刻まれたT様お住まいのお上品な建物に到着いたしました。
私は居心地の良いところには長居をしてしまうみたいです。
初めてお会いした、T様ご姉妹から、素晴らしい人生遍歴などを伺いながら、コーヒー等を頂きながら、本題の、お話へ。
お引越しのお手伝いをさせていただきながら、不用な物を買い取らせていただくお話です。
今日は取り敢えず、カシニョールのリトグラフと、ピカソのリトグラフを買い取らせて頂きました。

ピカソのリトグラフ

ピカソのリトグラフ

他の物達もなんとか話がまとまりそうで、次は、春の葉山にお邪魔させて頂けそうな、私には結構な出会いの一日でした。

「私、幾つか大体分かるでしょっ?」
コーヒーを頂きながら、お姉さまからのご質問です。
私より、年配であろう事は推測できますが、少なくとも女性の方に対して、軽々しく、自分の口からうっかりでも、数字を口に出すことは簡単ではありません。
横の妹様が、「私は今年、7●歳で、この人は私の5歳上なの。」
わたしも、大体そんな処ではないかと思ってましたが、私が驚いたのは、「私が、インターネットで貴方を見つけたのよ。」

頭の先から足元まで、知性と教養の下着の上に、経験と自信のドレスを纏ったような、何と無く、往年のスタイル、容姿の素晴らしさを、今でも十分に感じさせてくれそうな、お姉さまのお口からこぼれた言葉に、私は一瞬、驚いてしまいました。

星の数ほど…葉山の海の砂の数ほどある、インターネットの同業者の中から、わたしに辿り着いて下さった、お姉さまに、そして、呼んで下さった妹様に、感謝の、お礼の言葉が見つかりません。

モノとの出会い、ヒトとの出会いは、とても貴重な縁から始まると私は思って居ります。

朝向かう時、ナビの情報を見ながら、ハンドルがいくらか重く感じられました。

帰り道。葉山から逗子への、土曜の午後ののどかな、春を待つ海岸。
渚橋の近くで心地よい海風にあたり、今日は葉山の海で、目に見えぬ大きなパワーを頂いて帰る事が出来ました。
素敵なご姉妹、T様。
またお会いできると思って居ります。
有難う御座いました。

 

杉並区下井草での[遺品整理]。[岩谷堂箪笥]を買取りしました。

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岩谷堂のサイドボードの買取り

「父が遺した物ですが、大きすぎて処分したいんです」
一階の駐車場の隅にひっそりと置かれていました。
ひっそりと言うよりは寂しそうにの方が似合うかも知れません。

岩谷堂のサイドボードでした。
殆ど使われた形跡はなく、とても美しい一品です。
今でも多くの方が欲しがるアイテムだと思います。
ただ幅が1メートル50は有り、今日の御依頼主、S様の言葉の通り、普通の部屋に置くにはかなり大きな物だと思います。

遺品の整理

最近、50歳前後の男性のお客様に良く呼ばれます。殆どが、父上の遺品の整理です。
今日のS様もやはり50歳前後だとお見受けしました。

お訪ねした所は杉並区の下井草。
妙正寺川沿いの立派なお屋敷です。間もなく咲く、桜の花が似合いそうな。
急な父上の御逝去で、遺品の整理の真っ最中でした。
かなり長い間、高血圧を患われた父上だそうです。
80前の御逝去だとの事です。
同じような場面は、数え切れないほど経験して参りました。

私たちはお客様の御依頼を受け、お客様の心が今以上痛まないようにと思いながら様々な品物を買取させて頂いております。
長い間、日の目を見る事無く、押入れの奥に押し込まれて埃にまみれた様々な物達。
遠い昔から長い時間を掛け、引き継がれてきた様々な美術品類。
それを手にして、また、それを欲しがる次の方に、引き継ぎ出来た時などは、自分が好きでやってる此の稼業ですが、業者冥利につきる瞬間です。

今回の様な岩谷堂の箪笥。

岩谷堂箪笥シール

岩谷堂箪笥のシール

こういう品物を長い間、車庫の片隅に置きっぱなしにしてはいけないと思います。
好きな方が少なくありません。ネックは、大きさと価格です。

S様と、父上の生前の御趣味等をうかがいながら、他に、残された浮世絵の版画等を何点か、美術関係の書籍を段ボールに二箱程頂きながら、S様納得の金額で買取させて頂きました。

私の知り合いに岩谷堂に目の無い、居酒屋の御主人が居ります。
彼の顔を思いながら、重さを忘れ大事に頂いて参りました。

おかげで今日の夜は、その居酒屋で軽く一杯というコースを終え、家に帰ると、横のテレビでは、日中の卓球決勝戦。
居酒屋のテレビの中では女子が泣いてました。

今、横の画面の中では男子の必死の姿。
血圧が上がりそうな気がします。今日は早目に眠らせて頂きます。

杉並区下井草のS様、本日は有難う御座いました。

 

台東区入谷での[石版画][リトグラフ]の買取。[織田一磨]の石版画集。

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織田一磨の石版画集

丁度、100年前の上野広小路の街並みの様子に見とれていた時、背中越しに、「なんか、面白い絵だねー」と、どこかで聞いた事のある声。

例の北大塚の85歳のS様のお出ましでした。自転車で。
今日は偶々、品物の整理の日です。
先だって台東区谷中のS様から頂いた品物の一つ、織田一磨の石版画集の中に、面白い絵柄を見つけました。
丁度100年位前の東京と大阪の情景が描かれてました。

100年前の上野広小路

私が一枚の作品を指差して、「これは昔の上野広小路の様子!」
私の返答にS様も、珍しそうに懐かしそうに、眼鏡の奥の目を丸くして見入って下さいました。
100年前の上野広小路

100年前の上野広小路

「私は、絵は良く分からないけど、結構面白いねー」
40点の作品をめくると、今とはかなり様子の違う、東京、大阪の風景が現れました。
43年前に発行された作品集です。当時も多分、とても楽しい作品集だったのではと思います。
1917年の道頓堀

1917年の道頓堀

 大阪道頓堀の作品、私は行った事は無いと思いますが、好きな人に見せて上げたくなります。
100年の時代の流れを教えてくれる、とても楽しく美しい織田一磨の作品集でした。
何枚か一緒に目を通された85歳のS様も御満足のご様子。
最後に出た言葉は、何時もと一緒。
「何と無く、昔の方が良かったね〜」
私も頷くしかありません。
「ところで、其処の市場、辞めないみたいじゃない⁈」
そうなんです。
近くの生鮮市場、一時、廃業の方向が一転、継続に変わりました。
多くの利用者の方等の直訴で、方向転換になったようです。
小判鮫の様な私にも一先ずは良い知らせでした。
前回は、閉めると聞いて寂しそうに帰られたS様、今日はうちの店で、源右衛門の飯碗を買って下さり、帰り際の自転車姿に元気が見えました。
「今日は暖かくて助かるよ。また来るね〜」
お待ちしております。S様。
織田 一磨(おだ かずま、1882年明治15年)11月11日 - 1956年昭和31年)3月8日)は明治期から昭和期の芸術家、版画家
洋画を川村清雄石版画オットマン・スモリック金子政次郎学ぶ。「自画石版の織田一磨」として知られる。主な作品は東京国立近代美術館などに収められている。[Wikipedia]

東京港区、新橋で、【銀製品の買取】、【純銀の皿】の買取でした。

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東京港区新橋での買取

新橋駅の日比谷口。

雨にぬれた、黒いSLを左に見ながら少し進んだ公園の近くに目的の場所は有りました。
ちょこっと寄って見たい新旧の、大小の飲食店だらけの、昔から人の多い一角に有る古い3階建ての建物のお2階にそのお店は有りました。

「お店の中の什器とかを買って欲しい。」
と言う御依頼でお訪ねし、お会いしたのが本日の御依頼人、I様でした。

中に残された品物什器を見て、一瞬、びっくりしました。
大小のこけしが20体位。焼物の能書本が数十冊。他にはイタリア製のカップボード、マルニ風のサイドボードが一つ。他にもろもろ。
数坪の広さのお店で、こちらで暫く、和洋の骨董品、アンティ-ク品の販売をなさって来られたそうです。何時からかは詳しく分かりません。
殆ど同業の、先輩の方とお見受けしました。
恐らく家賃も場所柄お安くは無かったと思います。感心感服です。

店内の整理

とにかく私は御依頼を受ける事に。
詳しい事情は分かりませんが、他の所に移るにあたって、店内の品物を全て整理なさりたいとの事でした。

私の答えは簡単でした。
細い階段の、2階からの搬出で、最低2名の人員が必要な事、古い家具たちにはほとんど価値が無いことなどを説明し、間違い無く相応の費用がかかるであろうことを申し上げました。

銀製品の買取

I様も当然古物商の御経験のある方で、私の申し出に、首を縦に振りながら、先程のサイドボードの中から出されたのが、此の銀製品でした。

純銀の皿と、古い銀製品が少々です。

純銀の皿

純銀の皿

古い銀製品

古い銀製品

「これを以って、何とか、全て、イーブンと言う訳にはいかないかしら?」

相手の方も、この地にて長い間、所謂古い物達を売買して、生計を立てて来られた方。
物にかかる費用と、価値を良くご存じの方でした。
話し合いは、ほどなく、折り合う所で折り合いました。
銀製品だけは、本日の持ち帰りにOKを頂きました。

静かな新橋

最後に日程の打ち合わせを終え、街に出ると、土曜日の午後のせいなのか、春先の冷たい雨のせいなのか、かなり静かな、新橋の街の雰囲気です。コインパーキングにも空きが目立ちます。

以前のこの近辺、昼も夜も人であふれていたような気がします。
一昔前、イキツケノ味の良い焼鳥屋に良く足を運びました。

新しく進出してきた、名の通った飲食店の大きな看板、昔からしっかりと暖簾を守ってきた小さなお店。

激しい戦いの街で頑張って来られたI様、ご苦労様でした。

純銀のお皿、大切に頂きます。有難う御座いました。

東京都 板橋区 向原のお客様。【堆朱の硯箱】、【水滴】の買取。

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東京板橋区向原のお客様。

「これってどうするんですか?」

「それは粗大ごみで、もう区に電話しちゃったの」

私が本日お訪ねしたO様のお宅です。
玄関を入るや否や、下駄箱の横に立てかけられた、のこぎりか何かで、二つに切られ、ガムテープでぐるぐる巻きにされた屏風の様な物。
幾らか時代の有る物ですが、今更ガムテープを開ける気にもなりません。
見ると確かに屏風です。
かわいそうに中に描かれた人物は真っ二つでした。

やはり、「何か、持っていけるのが有れば見てくれない?」
というお声がかりでお邪魔させて頂いたのが、お店から、歩いても5分、車でも5分の、板橋区向原の、白い塀に囲まれた、O様のお屋敷。

一昔前、この辺りには藁ぶきの家がちらほら見えました。
あちこちに畑だらけの長閑な場所でした。

O様もまさしく長閑な方で、私らが喉から手が出そうな物を無造作に、ビニールの袋に入れてます。

多分、重くて触れなかったのでしょう。此の為に私を呼んだのかも知れません
段ボールに5箱ほどの、古本を頂きました。
殆どが車関係の本でした。欲を言えばもう少し古ければ。

矢張り重たいレコードの山。汗をかきながら頂きました。

リフォームをなさるので不用品の片付けをなさってました。

堆朱の硯箱

先程のビニール袋の中から私が助けたのが、この硯箱でした。
ちょっと古めの堆朱の硯箱が一つ。

堆朱の硯箱

堆朱の硯箱

唐金の水滴

中におさめられた水滴が一つ。唐金製の中国風の可愛らしい一品。

水滴

水滴

O様、お願いですから、こういう物をお捨てにならないでください。

とにかく、有りがたく頂戴してまいりました。
僅かなお代を差し上げると、O様の金色の眼鏡がピカリと光りました。

有る所には有るんです。

帰り際白い塀から覗いていた可愛い梅の花です。

梅の花

向原の梅の花

堆朱(ついしゅ)は、中国漆器を代表する技法である彫漆の一種である。彫漆とは、素地の表面にを塗り重ねて層を作り、文様をレリーフ状に表す技法を指すが、日本では表面が朱であるものを「堆朱」、黒であるものを「堆黒」と呼ぶ。ちなみに中国では、黒漆の層に文様を彫り表したものを「剔黒」、朱漆の層のものを「剔朱」という。通常の漆は硬くて彫刻が困難だが、油を混ぜることで、軟らかくなり彫刻が可能になった。
水滴 硯(すずり)に使う水を入れておく容器。水注。水差し。
台東区谷中で【古本】の買取。【版画集】、【写真集】、【画集】、【古書】の買取
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久々の谷根千でした。

春一番の昨日から、まるで真冬に戻った今日の谷根千。

空模様に関係なく相変わらずの人出です。

今日お会いしました谷中2丁目のS様。
そうですねー、とてもお若い、気さくな奥様と言う感じ。

築50年は過ぎた3階建てのお住まいからのお引越しです。

とても気楽に一階から三階まで案内されました。

殆どの品物が仕分けされ、もし私の方で、評価できる物が有れば、御自由にどうぞと言う感じです。

一階の駐車場に無造作に積まれた段ボールの箱とビニールのごみ袋。
これはどうしますか?
それは全部ごみなの。
そこから見つけ出したのが、昭和33年の記の有る鉄瓶とか、純銀の銘々皿とか。
あと、玉川堂の茶筒とか。

一階のソファの上には、中古のブランドバッグとか古い香水達。
皆、私の好きなアイテム達です。

品揃えの最中の私の前に、本の入った重そうな段ボール箱を一つ抱えた男性の姿。
一瞬緊張しながら、「その箱はどうするんですか?」
「これ?、そこに捨てるの!」と駐車場の方へ。

【古本、古書の買取】

ちょっと待って下さいよ!

と、私が集めたのが写真の古本達。
写真集、版画集、画集とか結構面白い物が目に入ります。

古本、写真集、版画集

古本、写真集、版画集

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本を持参されたのが、こちらの御主人、S様でした。
全て要らないとの事。

昭和13年生まれのお元気そうな方でした。
殆どが父上の残されたものであり、御自分にはもう用の無いもので、すでに大量に処分なさってしまったとの事。

残念ながら言葉が有りません。
残った物から活かす物が有れば私に全て任すとノコト。

有りがたいお言葉です。

引っ越されて、那須に有る別送の方に移られるとの事です。
先程からけなげに、一生懸命動かれてる気さくな女性の方。
素晴らしい奥様ですねー
に、
奥さんじゃないんだよねー
の、
御返事。
私のヘルパーなんだよね。30年位。

私も沢山のヘルパーさんを知ってますが、これほど羨ましく思えるヘルパーさんは知りません。

今日は本当に、素晴らしい物たちを大変ありがたく頂いた上に、素晴らしい人たちとの出会いでした。

今日の株価とか、バズーカとかマイナス金利とかに、殆ど縁の無い世界にお住まいのS様、羨ましゅうございます。

久々の谷根千、又お邪魔したいと思います。
S様、有難う御座いました。

谷根千とは、谷中・根津・千駄木の頭文字をつなげたものである。

 

 

今日はチョコレートを一つ頂きました。北大塚のS様から。

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85歳の北大塚のS様

春一番まであと一息という春の様な暖かさの中、北大塚の85歳のS様が、お店に現れました。いつもこの時間に現れては、せんべいだのまんじゅうだのを置いていかれます。

自転車の荷台にはいつものように買い込んだ食料品のレジ袋。

今日のお土産は、小さなチョコレートの小箱が一つ。

「これ、食べてっ!」
いつものような元気が有りません。

【近くの市場が閉店します。】

「あんた、そこの市場がやめるって知ってるの?」

私のすぐ近所には、昭和の終わりから30年位営業の、結構名の通った生鮮食料市場が有ります。
年の瀬になると、正月の買い出しのお客様の何重もの列が一日中続いた頃も有り、街の一つの風物詩でした。
営業努力をしなかった訳ではないと思います。
中々頭をあげてくれない景気の動向、昨日のお店のように、所謂、町場の飲食店等の数の減少で、年ごとに客数が減り、いよいよ営業をやめざるを得なくなってしまったというような事を、私も数日前に耳にしました。

確かにこの所、ここ数年、真近で見ている私の目にも、客数の減少ははっきりしてました。

イスに腰を下ろした、S様の口は収まりそうも有りません。

「私は時々、そこの市場に寄っちゃ、ここに顔を出すのが楽しみだったのに、、、   😥  」 さみしそうに語ります。
店の表は南風が強くなってきました。I

北大塚のS様

北大塚のS様

元気の無いS様の帰り途が心配です。

ラッパとバズーカ

「ちょっと前までは、経済再建だの、一億総なんとかっていう勇ましいラッパを吹いてたと思ったら、最近は何とかバズーカとか何とかで、景気なんかちっとも良くなって無いじゃない。困ったもんだよねー。私なんか、歳だから構わないけど。」

世の中の流れを良く御存じで。

今日の風のように、何時もよりはちょっと荒れ気味の、御高齢のS様。
どんな理由にせよ、こんなお年寄りに、心配事を作っちゃいけません。

何時もは何か必ず買って下さる、S様。 👿

「じゃ、又来るねー」 今日は手ぶらでお帰りです。

何と無く店を後にされた北大塚の85歳のS様。

北大塚のS様

自転車の後姿がいつに無く、さびしげで、風の強さが気になります。

景気の風は中々、春色に変わりそうも無いみたいです。

市場が無くなると、私の店もとても困る事になりそうです。
自転車姿のS様の、あの元気なお声を何時まで聞けるのか?
寂しい事です。