新宿区牛込【贈答品】の買取。【毛布】、【肌掛け】【シーツ】に【タオル】。

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新宿区牛込での買取

今日、私を迎えて下さったのは、顔中が年輪の様な、何とも年季の入った、和食屋の旦那様、W様でした。
場所は新宿の牛込。
お店をたたむので、店内の備品、食器等の、買取の御依頼でした。
とてもおしゃれなお店です。造作にもかなりの費用が掛けられたお店です。
お店をたたむ理由は、御自分の年齢のせいではなく、折からの、ちっとも上向かない景気に、苦汁の決断を下されたからだそうです。
店内を眺めさせて頂きました。

残念ながら、厨房機器備品、食器等は当店での買取はほぼ無理でした。
余りにも時間が経ち過ぎて。
最近の市中には製造1,2年から、2,3年の程度の良い厨房器具等が数多く流通しております。すぐに閉めてしまう店も多いのでは無いでしょうか。

良く磨かれた黒のカウンターの奥にはキープされた焼酎の瓶達。私の好きな芋だらけでした。

カウンターの上で語られた数々の物語。
カウンタ-を彩った数々の料理。

顔に刻まれた年輪に秘められた、ご主人様の悲喜こもごも。
25年ほど前の開店だそうです。途中楽しい景色にも出会ったそうです。

早稲田のキャンバスからは遠からず、周りには江戸川橋、神楽坂、間もなく訪れる桜の春には多くの人が足を運ぶ、歴史の古い牛込の街。

こちらで25年もお店をやって来られても、店をたたまなければならない、今の世の現実。

贈答品の買取

最後に店の奥から出されたのがこの贈答品の数々。

開店当初から何故かこういう物を沢山頂き、消費しきれなかったようです。
邪魔なので何とかしてほしいとの事。

まさか私も、ここで、毛布布団に出会うとは思いませんでしたが、一生懸命買わさせて頂きました。

支払の途中、わずかなお札を眺めながら、「私らには株がいくらだとか、金利が幾らだとかいうよりは、昔のように、お客がいっぱい来てくれるような景気が欲しいんだよねー」

私もまったく同感です。

私が好きだった、北大塚のタラちりの美味しい和食屋さんも最近店を閉めました。

行きたいお店が減って困っております。

どこからかかすかに聞こえる、景気の良い話とは裏腹に、最近ここにきて目にする、耳にする、余り景気の良くない話達。

株価の話

店のテレビでは、株価が15,000円を切ったとの報道をしてました。
株価?10,000円でも30,000円でもいいんです。
実態の景気が良ければ。

新宿牛込のW様、本日はお呼びいただき有難う御座いました。

 

目黒区上目黒で【雛人形】、【彫刻】の買取、【ブロンズ像】の買取でした。

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目黒区上目黒の買取

山手通りを青葉台1丁目で右に折れ、蛇崩の五差路を祐天寺方向、上目黒4丁目方向にハンドルを切るとその古い一軒家が現れました。
入口の木戸をあけ、石畳を過ぎた玄関を開けるとその方は車椅子の上から、私に鋭い眼差し。背中に一瞬緊張が走ります。
私はすぐにお客様の年齢が気になります。
それは私自身の年齢のせいかも知れません。
横に立っておられる方が、私を呼んで下さったK様かも知れません。
黒縁の太い眼鏡の、いかにも穏やかそうな恰幅の良い、60前後に見える、チョッと白髪の男性の方です。
車椅子の女性は、恐らく、80歳は超えてらっしゃるかも知れません。

雛人形、洋人形の買取

私への依頼品は、雛人形と、何体かの洋人形でした。
箱書きから、雛人形は、昭和5年頃の物でした。
顔の白さにひかれましたが何せ古いもので、箱は壊れ、服は破れ、数はかなり不足し、評価にはかなり難しい物でした。洋人形は、かなり汚れ、傷みのひどい物たちが10体ほど。
古い物が有るんですけどと言うお電話でお邪魔いたしましたが、評価の難しさを申し上げました。

先方様は、何とか私に、処分をと言う申し出です。
石畳の雰囲気と建物の古さが、私は気に入ってます。

ブロンズ像の買取

いつものように「他に何か不用の物は有りませんか?」と言う私の申し出に、案内された半地下の納戸の一番奥にひっそりと佇んでいたのがこのブロンズ像でした。
眼と眼が合いました。
「私をここから出して下さい!!!」

話はすぐにまとまりました。

たまたま近所に、うちのスタッフが2名居りました。
雛人形と、洋人形の積み込みの終わる頃現れた男二人と、体の弱い私と、三人でやっとのこと、彼女を陽の目のあたる場所に連れ出す事が出来ました。
恐らく、100キロは超えると思います。
逞しく、スタイルの良い女性が一人、私の目の前に現れました。
残念ながら、作者名は今の処、不明です。年齢は54歳と見えますが、49歳かもも知れません。

落款、サイン

落款、サイン

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落款、サインから、御存じの方、どなたの作か教えて頂ければと思います。
彼女は今、私の矢張りうす暗い倉庫の中で、次の嫁ぎ先を夢見ております。
私の所に来てからは、表情が少し明るくなったような。
素晴らしい女性と合わせて下さいました目黒区のK様、有難う御座いました。

東京港区赤坂の【ブランド食器】の買取、【ノリタケ】の【イナギュレーション】でした。

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東京赤坂の買取

「此処には、昭和59年から住んでるの。私の歳、分かります?」

「いいえ」

「貴方は、何年生まれなの?」

「昭和2●年です。」

「私より全然若いじゃない!私は、1●年なのよ」

すぐに何歳か分かりました。
同じ年生まれの、同業の先輩が居ります。

乃木坂を下りた、赤坂9丁目。歴史の有る瀟洒なマンション、新しい建物が並ぶ静かな道沿いの落ち着いた建物の6階の一室。

こちらにお住いの今日のお客様、S様とのやり取りです。

「私、長年一人でここに住んでいて、そろそろ、身の回りを整理しようと思って…」

最近、良く耳にするお言葉です。

お部屋の中にはイタリアの輸入家具、床には赤の美しい、ペルシャ絨毯。
カップボードには、ヨーロッパのブランド食器。私の好きな物が見えます。

ノリタケのイナギュレーション

古い香水の瓶が何本かと一緒に、テーブルに上に出されていたのがこのノリタケの金彩仕上げの、イナギュレーションシリーズの、コーヒーカップ&ソーサー、プレート類のセットでした。

昭和54年のノリタケ創立75周年に際して企画された、ノリタケの当時の最高の素材、最高の技術で製作された、この世界では名器の一つに数えられるそうです。

当時の豊かな景気、華やかな世相を反映した素晴らしいアイテムの一つだと思います。

全部で30点近く、惜しむらくは、普段使いで使われた何点かに、ところどころ、金彩のはがれが見えるところ、コーヒーポットが見えない事でした。

 

ノリタケのイナギュレーション

ノリタケのイナギュレーションのカップソーサー

物の数が豊かになり、より質の良い物を求められる今、当時ほど、この品に惚れ込む人は少なくなりました。
私の金額提示にもすんなりと話が決まり、素晴らしいガラスのテーブルに出された、ヘレンドのカップに注がれた温かいコーヒーを頂きながらの、世間話です。

又例の、マイナス金利のお話です。
マイナス金利で一喜一憂される方、かなりいらっしゃるようです。

「私の趣味は、新聞に目を通す事なの、毎日。ボケ防止でねっ。」
いえいえ、ちっともぼけては居りません、更にこんなコメント。
「この頃は、カ行の人の話が多いわねー。」

黒●…、清●…、金…、クリ●…、

こんなお名前が可愛いお口から零れます。

「私、ここに住んで、30年は過ぎたけど、今ほど、世の中がつまらない時はないわねー」
「マイナス金利だの、消費税だの、無かった頃が懐かしいわ!」

私もほぼ同感です。私の薄れゆく記憶の中で、当時、金融機関から借り入れをすると、確か年利10%近い金利を払わせられながらも、活発な消費で世の中が今よりははるかに潤っていたような気がします。

そろそろ美味しいコーヒーも終わりに近づきました。

白い壁に、様々な年齢の女性の写真。

その一枚を指さして、「これって、浅丘ルリ子ですか?」

「それはあたしよー!!!、これ全部私なの!」

荷物をまとめる私の背中から嬉しそうな一声。

「貴方は、この辺りに又来るの?来たら、寄って下さい。貴方の欲しい物あげるから。」

ホントですか?赤坂のS様。

是非、また、お邪魔してみたい、港区赤坂9丁目のS様との出会いでした。

東京杉並区で【贈答品の買取】、【バカラのローハン】でした。

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【東京杉並区、下高井戸の買取です】

ひと通り、全ての部屋の品定めが終わりました。
部屋では無く、お部屋に残された品物達の品定めです。
「絵画とか、焼物が有るので見て下さい。」
矢張り、60を超えたばかりの様子の男性の方からのご依頼でした。
東京、杉並区の環八と甲州街道に真近の下高井戸の、いつものように細い道の入り組んだ住宅街に有る、矢張り、築50年はなんなんとする、木造2階建てのN様のお宅。
矢張り、売却処分だそうです。

品定めの結果はかなりさびしい限りでした。
仏壇横の収納から、かなり大きめの、13代今衛門の桐箱が幾つか、更に、柿右衛門の桐箱が二つ見つかりました。
一瞬、嬉しがったのもつかの間、全て、もぬけの殻で中身が有りません。各部屋を隈なく眺めても中身は見つかりませんでした。
ついでに出て来たのが、この、所謂、贈答品の類達。
長年不用で放置され、今でも、欲しがる人を探すのが難しい、茶器急須、湯呑、ガラスの器達です。
私も悔しさも手伝って、重いのも忘れ、つい車に積み込んでしまいました。

男性から、お茶を頂くのはそう数が多くは有りません。
先程買取をお断りした、30年ほど前のチーク材の食卓の上に、古い香蘭社の湯呑に入れられた温かそうな緑茶が一杯。
本日の寒さには有りがたい一杯です。

お茶を挟んで、N様としばしの世間談義。
私の仕事は、何年くらいやってるだの、お互い、生まれが昭和の何年だの、子供、孫の話だの、相手次第では、私はつい、話し込んでしまいいます。
白髪の数と額の薄さを鑑定する私。
「私がここに居た、平成の初め頃、一億円を銀行に預けると、毎月、五十万円位、利息が入って来たんだよねー」
事実かどうか分かりませんが、羨ましいようなお話です。
「所が今、一億円を銀行に預けると、一年で、千円なんだってね」
こちらのお話も、私には事実かどうか確認する術を知りません。
「昨日かなんかの、日銀の決定らしいけど、クロはクロだね。」
良く意味は分かりませんが、日銀黒田総裁のマイナス金利発表に原因が有るみたいです。
日銀総裁の一言に、一喜一憂されながら、お住まいの売却整理にお忙しい、N様、お羨ましい限りです。

【バカラのロックグラスの買取】

頂いた贈答品の中に赤い箱のバカラのロックグラスが一つ見つかりました。
バカラのローハン、未使用品でした。

 

バカラのロックグラスローハン
私には、マイナス金利よりも数倍プラスの贈り物でした。
杉並区下高井戸のN様、有難う御座いました。

東京,新宿,西落合の買取。【ラッパ型】【蓄音器】の買取。

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最近の買取事例

最近、60過ぎの男性の方に良く呼ばれます。

殆どの方が、御両親の御逝去後の、お住まいの整理片付けです。

有る程度、御自分で整理なさった場合、そこに残されているのは、箪笥、本箱、介護のベッド、布団、人形、それと小さな仏壇とか。

何故か箪笥の中の着物、本箱の書籍類は空っぽになってます。

処分なさった経緯、売却で手にされた金額等の話を聞くたびに悲しくなります。

広告の上手な業者様が羨ましくなります。

悲しんでばかりはいられません。

残された物達の中に、私と出会いたい物が必ず有るはずという信念で、いつもの家探しが始まります。

新宿区西落合の買取

この度お邪魔した新宿区西落合のH様のお宅もまさしく、その通りの築50年は過ぎてる木造の2階建てのお宅でした。

出迎えて頂いたH様。

本当に長閑な人生を送られたであろう、穏やかで、愛想のとてもよろしい、60を超えたばかりに見える、丸顔の、とてもお元気そうな男性の方でした。

全て処分するので、何か買えるのが有ればお願いしたいとの事。
所謂、遺品の整理です。

不燃物だと仰る、食器の入った、段ボール箱から、スワロフスキーのガラスが5,6個。
ヘレンドのカップソーサーがワンセット、その他ノリタケオークラのお皿数点を助け出し、ベッドの脇のナイトテーブルの上で、埃のかぶった白い風呂敷の中から現れたのがこのラッパ型スピーカーの付いた蓄音器でした。

ラッパ型蓄音器の買取

取り説が有りました。
昭和62年頃のメイドインフランスの蓄音器でした。所謂復刻版です。
父上の物だそうです。H様には御不用の事。

ラッパ型蓄音器

ラッパ型蓄音器

この時期のご購入とすれば、多分、目の前のH様とほぼ同年齢でのこの商品のご購入かなと余分な事を思いながら、その当時の何と無く豊かで、のんびりした日本の情景と、これを手にしたH様のお父上のお姿などを、思い浮かべながら、大切に車に積み込み西落合を後にしました。

車のガラス越しに見えるいつもの哲学堂の桜達。
やがて訪れる今年の春に備え、残り少ない厳しい寒さを必死にこらえる姿。
私の好きな場面です。

店に戻り、ゼンマイを巻くと大きなスピーカーから懐かしい音色が流れました。
西落合のH様、有難う御座いました。

 

豊島区大塚での【治療機の買取】、【スカイツリー】、【富士山】、【東京タワー】との出会い

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今日の主役は、富士山でしょうか?東京タワーでしょうか?スカイツリーでしょうか?

豊島区北大塚のお客様

今日私を呼んで頂いたのは、豊島区北大塚のY様御兄弟。 訪ねて見ると、しょっちゅう私が顔を出す地域、大塚駅の北口から、都電の線路を越えた、信号機のすぐ脇の、築50年はなんなんとする、2階建ての古いお家。 間もなく解体の予定だそうです。 私を迎えて下さいましたのは、多分お兄様と妹様お二人でした。 来月、解体なさるそうです。その後の事はわかりません。ただ、羨ましい限りです。

戦前の、Toushibaの扇風機、Nationalの電気ストーブとか、私の好きなアイテムを気持ちよく譲って頂きました。 気が引けるのは、すぐ近所に私の懇意のリサイクルショップが有った事でした。 そんな関係で私も一生懸命買わせて頂きました。 そこで見つけたのがこの治療機です。

1955年の治療機

1955年の治療機

1955年の治療機

1955年の治療機

押入れの天袋の一番奥の奥で私との出会いを待ってました。

さすがに、今更、役には立たないと思います。 中から出てきた取り説に、1955年の記録が有り、今から60年も前にこのような治療機が存在していた事実にびっくりしました。 古い昭和の本箱、欅の文机、時代箪笥等、次回の引き取りのお約束の最中に一本のお電話。 墨田区は、向島からのお電話でした。 気持ち良く、北大塚のY様のお宅を後にして、春日通りから、浅草通りを経て、向島の、M様宅へ。残念ながら、私の欲しい物には出会えませんでした。 スカイツリーとの出会い そこで何と無く立ち寄ったのが、東京スカイツリーでした。 一人で行ってみました。 多少お腹も空いてました。

時間は午後の4時半頃。

そこで出会ったのが、写真の富士の顔でした。

スカイツリーからの富士山

スカイツリーからの富士山

好きになれそうなスカイツリー

普段の混雑は知りません。

今日はとても空いてました。

地上350メートルへのエレベーターも快適でした。

そこには意外と多くの人たち、矢張り若い二人連れ、中国、韓国、その他の外国の方々。

久しぶりに、何と無く、自由でのんびりの時間を味わいました。

下界の景気とか株価とか、遠い彼方のきな臭い話とか、バスの事故の悲しい思いとかを、 一瞬忘れさせてくれるそんな場所と時間でした。

今日の天気の御蔭でしょうか、遥かな美しい富士、近くの輝く東京タワー、結構好きになれそうな
東京スカイツリーに出会えたそんな一日でした。

スカイツリーからの東京タワー

スカイツリーからの東京タワー

 

港区で【贈答品】の買取、【オールド大倉】の【紅茶碗】。

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今年の初買いです。

新年からとても美しい奥様にお会い出来ました。
細身の小柄な体を黒いワンピースで包み、玄関先に出された贈答品類を見てくださいとの事でした。
殆どが頂いたまま使われずに置かれていた食器、コーヒー碗、木箱入りの急須セットなど。
何処のお宅にも有るものは中々思うようなお値段が提示出来ません
一箱づつ中身を見ながらお値段の交渉です。
お見かけも素敵で私の申し出にもとても素敵に反応して頂きました

オールド大倉の紅茶碗でした。

30点程見させて頂いて最後に出されたのが、このオールド大倉の紅茶碗6客でした。

オールド大倉紅茶碗

オールド大倉紅茶碗

趣の違いを確認させて頂きました。
母上が、その父上から頂いて、今まで大事に保管して来たものの、今更、しょっちゅう使う物でもなく、この際、思い切って、処分してしまおうとの事でした。
6客とも、傷もなく、とても時代の有る大倉陶器の紅茶碗達でした。
壊れが有りましたが、私はその箱が気に入りました。

 

 

紅茶碗の木箱

紅茶碗の木箱

オールド大倉紅茶碗

オールド大倉紅茶碗木箱

木箱入りの物には最近、中々会えなくなってます。
先に見た30点に負けない金額で買わせて頂き、素敵な奥様のさらに素敵な笑顔に出会える事が出来ました。
場所は、まだ正月気分の残る、港区東新橋の40階は有る、所謂、タワーマンションの20階。
管理の方のお許しを得て、汗をかきながらの荷下ろしで今年の新年が始まりました。
港区の素敵なM様、有難う御座いました。

文京区大塚での買取、【茶道具】、【永楽善五郎の茶碗】。

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「それは私が持って行くの。」
「これも持って行くの。」
私が手にした、鉄瓶や青磁の香炉。
「私は、貴方の欲しいのが、分かるのよ。」

来春、引っ越すので見て欲しい物が有るの、と呼ばれてお邪魔した、文京区大塚の4階建ての古いマンションの4階の一部屋での話です。

元気なお姉妹のお姉様のお言葉です。
妹様は、私は、何もいらないと仰ってます。
結局の所は、私に買えるものが有ったら買って欲しいと言いながら、私が、
これは?」と言うと悉く「残す。残す。」と仰るお姉様。
横で妹様の口が膨れてます。
父上が使っていたと言う古い欅の机の引き出しを開けながら「ここに、眼鏡とか万年筆とか、有りませんでしたか?」
「捨てちゃったわよね~」って
お二人で合唱です。

「他に何か棄てましたか?」
モンブランの万年筆とかかなりの数の銀杯なども棄ててしまった様です。
私はお二人の顔を見つめながら「アホと呼んでいいですか?。」
怪訝な顔で見つめ合いながらお笑いのお二人。
棄てて良いものと棄てては不味いものとかを説明しながら、やっと探し当て、頂いて来たのが、この善五郎のお茶碗でした。

永楽善五郎の茶碗

永楽善五郎の茶碗

こういう物には、余り、頓着が無く、すんなりと譲って下さいました。

他に、ヘネシー、ブランデーが何本か、お琴が2面、箱の無い掛軸が10本程、欅の卓袱台1台、等々を頂いてまいりました。
今年の締めの最後の買取としては、いささかさびしい思いですが、私に楽しく対応して下さった、文京区大塚の気さくなA姉妹様、私にお声を掛けて下さいまして有難う御座いました。
歳の終わりに4階までの階段を10回ほど往復させられ、冬の真ん中で、汗だらけになりながら、車の少ない静かな春日通りを後にしました。

今年は店の真近の生鮮市場にも人出が極端に少なく、本当に二日後に、正月が来るのか、なんとなく寂しいそんな今年の、暮の一日でした。

私には寂しい一年になりそうです、今年は。

杉並区天沼で、【着物、反物】の買取、【結城紬でした】

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長閑さがこぼれそうな緑の皇居、新年の準備は済んだのでしょうか。車からは塵一つ見えない青い空気の中を、ゆっくり動く人の群れ。外国人の姿が多いようです。

そんな、残り少ない今年の日曜日の昼下がり、祝田橋を左折して、車の流れのゆったりの、晴海通りへ。少し進むと、視界の左に、おびただしい人の群れ。確か、西新橋のチャンスセンターだと思います。

年末ジャンボを求める人の群れでした。

こんなに並ぶのって感じで人の群れです。私も、いつか並んだ記憶が有ります。然しこの人の数、とても並ぶ気にはなれません。ご苦労様です。

欲しいアイテムがあったが、お断りする

私は人の群れを後にして、三原橋を右折、昭和通り沿いの銀座7丁目の、9階建ての古いビルへ。あいにくお断りのケースでした。欲しいアイテムが有りましたが、エレベーターは8階まで、そのあと9階までは細い階段。かなりのお宝に出会えない限り、お断りするしか有りません。

帰り際、昭和通りから一本裏に入った、通りの寂しさが気になりました。今の日本の一場面を見ているようで。

東京都杉並区天沼で結城紬の反物を買取る

そんな銀座を後にして、向かった所は、杉並区の天沼。

三回目のお客様です。

そこで頂いたのが写真の着物反物。残念ながら評価には厳しい物ばかり。私達の業界にはおびただしい数の着物が出回ってます。それに一般の方の需要が追い付いてません。着物を必要とする方の絶対数が減っているんです。着物の場合、一点でも評価できる場合と、百点でも評価が難しい時が有ります。今回は後者の方でした。

その中で顔を覗かせていたのが、この古い結城紬の反物でした。惜しむらくは本結城で無い事です。

結城紬

結城紬

過去に様々な骨董品を引き取らせて頂いたお客様

こちらのY様からは、過去に、所謂、バブリーな品々を頂きました。とても豪華な外国製の木製の大きなデスクが残ってますが、私は引き取りをお断りしてます。次の人を探すのが難しそうで。

帰り際、玄関を見ると、下駄箱の上に年末ジャンボの宝くじが飾られてました。

ご多幸をお祈りいたします。

確か、かなり前、日本の景気がまだ良くなかった頃、宝くじが良く売れたと記憶してます。今の景気はそれに近づいて居るのでしょうか?今日はそんな一日でした。

銀座のK様、杉並のY様、有難う御座いました。

 

板橋区での時計の買取。シチズンのエクシードでした。

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「大変ですね-、これから引越しなんですか?」

「そうなのよ、それで、お宅に来て貰ったのよ。」

「どちらまで?」

「下まで!」

「へっ?」

今日は私のお店からすぐご近所、板橋区小茂根の環七沿いの6階建てのマンションの3階のお部屋にお邪魔をしております。

引越しで、不用品の処分、買えるものは買って欲しいというご依頼で、お邪魔いたしました。60は越えたかどうかのとても体格の宜しい、肌の艶の宜しいB様。額から汗が落ちてます。

今、お住いの3階のお部屋から、2階のお部屋に移られるそうです。年内に。

頭の中は、室内の品物の検索と、「失礼ですけど、賃貸ですか?分譲ですか?」と、聞きたがっってますが止めました。

和室の畳の上には、一台の介護ベッド。ベッドの上には誰も居ません。

「今日は母のデイサービスなの、それで貴方に来て貰いました。近所で、なんとか、安心できそうなお店だったんで。」

又々、感謝、感激のお言葉です。

お引越しの詳しい事情は解りません。

女性お一人での作業、苦労の多さはすぐに分かります。

かなりの量の不用品が有りました。

布団、ホットプレート、衣類、かなりの量の本類。アルバム類に古い家具。

古いレコードが有りました。60年代のジャズ系でした。本は⚫️⚫️⚫️⚫️OFFさんにお願いしちゃったとの事ですが、断って貰い、すべて私が、お手伝いする事にしました。

重い本を箱に詰めるのが結構しんどいんです、特に女性には。

本棚に、「火花」「流」「1Q84」、漱石の本が見えました。何故か囲碁関係の本も。

私が読みたい本達でした。有り難く頂きます。

3時間ぐらいの作業でした。冬なのに、私の体は汗だらけ。

ご近所の方、女性の方のご依頼にはとても弱いんです、私は。

本来なら、幾らかの手間賃を頂かなければならないケースかも知れません。

荷物を積み終え、額の汗に手をやる私に、「これはどうなります?」

と、出されたのがこの時計です。

シチズンのエクシードでした。父上の遺品だそうです。

側は18金のホワイトゴールド、ベルトにはプラチナ850の刻印。

顔つきの精悍なエクシード

顔つきの精悍なエクシード

何と無く可愛らしいエクシード

何と無く可愛らしいエクシード

 

動いていませんが、買えば結構な品物だと思います。

目一杯頑張りました。私が支払い可能な金額を申し上げました。

一見怖そうな、B様の丸いお顔が一瞬笑って下さいました。

母上は、今年95歳、介護をして14年目だそうです。

B様のたくましさが理解できました。

こちらにはB様のお兄様も同居のご予定で、3人合わすと、来年は228歳との事でした。

ご苦労様です。

母上様の御健勝、御長寿、ご家族様のご健闘お祈りいたします。

エクシード、大切にさせて頂きます。有難う御座いました。