相変わらずのガラクタ整理。諏訪蘇山との出会い。

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豊島区でのガラクタ整理

相変わらずのガラクタ整理に追われてます。

かなりの量が有ります。

ご依頼の方からは、「何も無いよ!ガラクタだらけだよ!」「もし、欲しいのが有れば、自由にして下さい。」と言うご依頼を受け、写真のような、長年放置された、まさしくガラクタの山との戦いが始まりました。時間は3日、2トン車で6台ほどの、ガラクタの処分作業です。

シャッターを開けて二日目の今日、小雨の中の必死の作業。
人数は5人。
暑さが無くて助かりました。
然し、何年も放りっぱなしにされた、箪笥洋服、本、書籍類からは目に見えぬ不気味な埃の攻撃。

諏訪蘇山の香炉との出会い
その中で今日の獲物が一つ。
埃とネズミのふんにまみれた壊れかけた天袋の奥から、小さな桐箱。
埃をどけて、蓋を開けると、中から現れたのは、青磁の小さな香炉。

第2代諏訪蘇山

諏訪蘇山の香炉

箱には「蘇山」の銘。かなり薄い落款でしたが、2代目諏訪蘇山の作品とお見受けしました。

知らぬ間に時刻は4時を過ぎ、あたりはあいにくの天気でまさしく夕闇が間近。

取り敢えず、今日会えたのは、蘇山が一つ。
諏訪蘇山の青磁の香炉。

時間の経過、置かれていた条件からはかなりの美品でした。

ご依頼主様に感謝です。

明日また、希望を持って、ガラクタの山に挑みます。

お得意様の不動産会社から依頼された、お店の近く、豊島区千早3丁目でのガラクタ整理の一こまでした。

買入れ本舗は、あらゆるガラクタ、古い物の整理、買取に積極的に取り組んでおります。

ガラクタが思わぬ収入に。
お電話お待ちいたします。0120-5394-55

豊島区千早の不用品処分、完了です。

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築50年は経った、木造住宅の不用品処分、やっと終わりました。

今日は、これ以上暑くならないでと祈りながらの作業でした。

ご依頼されたA様も、これ程の鼠の糞が有ったとはご存知無かったと思います。

作業前

作業前

作業後

作業後

 

処分作業afterのお部屋をマジマジとご覧になり、厚い老眼鏡の奥の丸い瞳に、ご納得の笑みが見えた時には、内心ホッとしました。

「ここ迄キレイにして頂いて有難う。

貴方の所にお願いして正解でした。」

とお喜びのお声まで頂きまして、こちらとしましても、一安心です。

作業前

作業前

作業後

作業後

細い私道で通りから奥まってます。作業は少し手間取りました。

周りには多くの住宅が建ってますが、此処だけは、50年前の昭和が取り残された様な静けさがあります。

三日間、作業をさせて頂きました。

最初の見立ての通り、お宝には出会えませんでしたが、スタッフ一同、ヤッタ〜と言う満足感に出会えることが出来た、お店のすぐ近く、千早の不用品処分の作業でした。

打ち上げは、ひっそりと、焼き鳥屋で。

 

 

豊島区長崎のお客様。マイセンのワイングラスとバカラのビアマグの買取

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地震の翌朝

テレビのスイッチを入れると、案の定、どこを見ても、頭にはヘルメット、手にはマイクのレポーター達の口から流れる地震現場からの情報合戦。
昨夜の、地震直後の各局の対応の素っ気なさが嘘の様。

テレビに映る場面からは、5年前、私の小さな店の中でも棚にある品物が音を立てて崩れ落ちた情景が思い出されます。

テレビに夢中の私の背中で「おはようございまーす。」の声。
昨日、お世話になった、長崎のN様がこ脇に小さな紙袋を抱えレジの前に立ってらっしゃいます。
「お願い!、これも引き取ってくださる?」
伊勢丹の紙袋から現れたのは、ペアのワイングラスと、ちょっと大きめのガラスのビアマグ。
「昨夜の地震、見たら、急に要らなくなっちゃって。」
良く分かります。
前回の震災時にも、手持ちの大事なガラスや花瓶達が割れてしまい、それから、割れるものから、一歩も二歩も引いた方が少なくありませんでした。

マイセンのワイングラスとバカラのビアマグ

袋から出された物を見ると、それは、マイセンのワイングラスとバカラのビアマグでした。確か何年か前、何かの記念でキリンから出された物でした。

マイセンのワイングラス

マイセンのワイングラス                                                     

バカラのビアマグ

バカラのビアマグ

私には嬉しいお客様達です。
「安くていいのよ。」
昨日と言い、今日も又、太っ腹なN様。
朝一番のお客様です。
丁重に買い取らさせて頂き、お代の代わりに、素敵な笑顔を残されて帰られました。

震災の現場を見るたびに、命の不思議さを感じます。
助かる人とそうでない人。
運の強い人とそうでない人。

仕事でも人生でもそうですけれど。

頑張って下さい、男子プロ

ある局で、今日開催予定の女子ゴルフの中止を伝えてました。
当然です。熊本での開催でした。
それに比べ、昨日からやっと始まった、男子プロ。
それで無くとも人気は落ち目、ギャラリーの入りも心配。
中止されず二日目も開催されてます。確か三重県で。
何とも散々な男子プロゴルフの今年のスタート。
選手の方々、頑張って下さい。
それがきっと、熊本への応援になると思います。

豊島区長崎で【大倉陶園】の買取。【オールド大倉】のプレート

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大倉陶園の瑠璃色プレート

多分、昭和の始めの頃の物だと思います。
当時の段ボール箱に納められていました。
箱に書かれた墨での説明、箱に貼られた、当時の大倉陶園のシール。

オールド大倉

オールド大倉の手書きの説明

シールの下の方、瑠璃の字は読めても、その後の二文字が分かりません。
どなたか読み方を教えて下さればと思います。
多分、分かる方が見れば、シールの内容から、いつ頃作られた物なのかも判断できると思います。

大倉陶園

大倉陶園のシール

食器の買取

「いらない食器が有るんですけど」

実際にお邪魔してみると、本当に不用になったと思われる、普段使いの急須、茶飲みやガラス皿の塊の横の畳の上に、古めいた段ボールの箱が控えめに置かれていました。
「これも要らないんですか?」
「えー、もし宜しければ」
開けると、裏に、OKURAの文字。
それもかなり古いタイプの。
金のシールも綺麗なままで。
所謂、オールド大倉のプレートが出てきました。
使われた形跡は有りません。昔の包装紙もそのままです。

オールド大倉

オールド大倉のマークとシール

お店の前で、私にお声を掛けて下さった、豊島区長崎のN様。
何と無く畳の上の食器たちを早く片付けたいご様子。
「このお皿には、何か連れの物は有りませんでしたか?」
「なぜかそれしか出て来ないのよ」

多分長い年月で、使われながら減って行き、運のよい此のプレートだけが生き残ったみたいです。

お値段にはあまり拘りの無さそうなN様。
私が、「私も要らない物が有るんですが、それも入れて、こんなもんで如何でしょうか?」
「えーっ、本当?」

初めからお代を頂けるとは思って居なかったN様の御様子。
思わぬお小遣いを手にされて本当に喜んで下さいました。

帰り際に、これも持って行ってと手渡されたレジ袋の中に缶ビールが5、6本。私の好きな、エビスでした。ごちそうさまです。

美しい瑠璃色に細い金筋の可愛い6枚のオールド大倉のプレート。
昭和の初めからひっそりと生きながらえて来たこんな品物が私は好きです。
可愛い果物をちょこっと載せてみたい、そんな、今日の昼過ぎ、豊島区の長崎で出会ったオールド大倉の瑠璃色のプレートでした。

丁度今、テレビの画面には、九州での強い地震の報道。
多分明日の朝には多くの被害が明らかになると思います。

見たかったニュースが一つも見れそうに有りません。今夜は。
ご無事をお祈りしながら、おやすみなさい。

豊島区北大塚での【ルイヴィトン】、【アルゼール】のかばんでした。

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マスターズのダイジェスト版から

今回のマスターズ。
時間の関係で、ダイジェスト版を見ました。
残り9ホールで2位に5打差のジョーダンスピース。
確か、10,11,12番で、スコアを六つ落とし、直前までの天国への階段から、一気に暗黒への地獄へとまっしぐら。
自分を含め、多くの方々の人生の縮図を見せられたような今回のアメリカでのマスターズ。
地獄へと向かいながらも必死に自分を信じながら、もがくスピース。
今回のマスターズの女神の愛を一身に受けたダニーウィレット。
そんな人生の縮図が今回のマスターズのテーマでした。
人生一歩先のの怖さと、目には見えない好運との出会い。
そんな事を教えてくれました。今回のマスターズ。

豊島区北大塚で

沢山の女神の愛に見守られて今日まで生きて来られたような、本日お会いした、豊島区北大塚のT様。
おそらく30代の方だと思います。
上品なお顔立ち、落ち着いたしぐさ。

ルイヴィトン アルゼールの買取

そんな方の両手に乗って運ばれてきたのが、今日の品物、ルイヴィトンのモノグラムシリーズの中の名品、アルゼールのかばんでした。
今までも何回か出会った事が有ります。
然し今回のアルゼールはかなり魅力的なアルゼールでした。
擦れた傷はほとんどなく、四隅の真鍮の金具もほとんど無傷。
かなり恵まれたコースを歩いてきた逸品だと思います。
叔母さまの遺品で、使う方もいないという事で、私との出会いが実現しました。
恐る恐る、私の口からこぼれた数字に、T様の、大きな瞳と、小さなお顔が快く応えて下さいました。
私の店に連れて来られた、ちょっと渋めの、綺麗なアルゼール。
しばらくは私のお店の、埃にまみれた古い大きな茶色の木の棚の上で、新しい人生を歩いて頂きます。
これから誰に出会うかは、あなたの運次第です。
どなたか、可愛がって下さる方。探してます。

豊島区長崎のお客様。【大塚家具】、【ブランド食器】の買取

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豊島区長崎のお客様

グレーの雰囲気に包まれた、仲の良さそうなご夫婦が、昼下がりの店先で、スマホの画像をかざしながら、こんなキュリオケース、買って欲しいんですけどと、私の顔を覗いて下さいました。ご夫婦の雰囲気そのままの、可愛いケースの画像が何枚か。
ケースのガラスが私を誘ってます。
前面に可愛いステンドグラス。

お店のすぐご近所、長崎の静かな住宅街にお邪魔しました。

大塚家具のキュリオケースの買取

大塚家具で買ったのよと言う、そのケースは、小ぶりでかわいらしく、何で?これを手放すのですか?の私の問いに、空いた場所に水槽を置いて、メダカを飼いたいの!。

何というご余裕。

キュリオの名の通り、中のガラスの棚には、切子のグラス、ヘレンドロイヤルコペンハーゲンのカップソーサー、下の段にはヘネシーのXO、洋酒の数々。

最初、長崎のS様ご夫婦は、キュリオケースを処分し、中身は手許に置かれるつもりだったらしいんですが、私の執拗な申し出に、お二人で何度も目を合わせながら、最後は結局、しぶしぶと、中身ごと頂ける事になりました。
丁度お店のケースで、ヘレンドとコペンハーゲンが不足していたところでした。

問題はお値段です。

無理して手放したくはないS様。S様にしては、ご不満かも知れませんが、一生懸命頑張らせて頂いた私の申し出に、快くうなずいて下さいました。

お二人の気が変わらぬ内と、急いで店に戻り、梱包材と、段ボール箱の用意。

正直、今回の様なアイテムは、利益を出しにくい物です。
然し、まさしく桜の花が今かと色めく今日の様な日に、特に、ヘレンドの中でも、美しい花と植物と蝶達に彩られた、ヴィクトリアブーケシリーズのカップソーサ―たちは、私にはとてもうれしい買い物でした。

それとヘネシーのXOも。1リットル物でした。

ヘネシー XO

ヘネシー XO

豊島区長崎のS様、大塚の家具の可愛いキュリオケース、ヘレンド、コペンハーゲンのカップソーサー達、大切に可愛がらせて頂きます。

本日はわざわざ、お店まで足を運んで頂きまして誠にありがとうございました。

キュリオ(curio)とは骨董品のことで、キュリオケースとはそれを陳列するケースのこと。 多くは、内部背面が鏡面仕上げになっており、ガラスの扉が付いている。 一般には、高級な飾り棚をキュリオケース、又はキュリオキャビネットと呼ぶ。
家具辞典より引用

 

豊島区高田で、[和家具]の買取り。[カリモクの回転椅子]でした。

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桐箪笥、和家具の買取り

今日お会いしたお母様もまさしく、個性の塊みたいな方でした。

少なくとも、2時間はご一緒させていただきました。

昨日のお電話で、桐の箪笥は駄目かしらというお伺いをお聞きして、訪ねて、現物を確認させていただきましたが、矢張り、駄目でした。

駄目という事は、私達の手を通っても、更なる新しい利用者を探し出すのが困難な品物だと言うことです。

そこの所はすぐに納得を頂き、次に、私からいつもの様に、何かご不要な物は御座いませんでしょうかで、連れて行かれたのが、短い階段を上がった所謂、納戸です。

此処は豊島区の高田、やがて華やかな桜の季節を迎える、神田川のほとりの、新目白通りと明治通りの陰に隠れそうな細い路地の奥の3階建のY様のお宅です。

一階から20段の階段を上って、更にその上、18段を上った所で今日のY様とお会いしてます。

こちらに嫁がれて半世紀が過ぎたそうです。

多分、毎日、この階段と戦って来られたと思います。

50年の年輪の刻まれたお元気なお顔は輝きに満ちております。

未だ未だヤル気十分とお見受けしました。

様々な趣味の遍歴の後、今は社交ダンスに、 没頭とのこと。

いろんな趣味があるけれど、これは、自分の体だけあれば良いとの事。

そんなY様に連れられた階段の奥の納戸には、

古いオーディオ、旅行カバン、家具等がギッシリ。

「これを片付けたくて、貴方を呼んで見たのよね〜今日は。」

当然ですよ❗️

カリモクの回転椅子の買取り

これでは、モノが可哀想。

それで、

取り敢えず助け出したのが、この日本の和家具の一流メーカー、カリモクの回転椅子でした。

私と出会った時には埃だらけでした。

今は、こんなに綺麗に変身しました。

立派な看板も付いてます。

カリモクの回転椅子

カリモクの回転椅子

未だ未だ何処かに嫁入り出来そうな立派な品物です

3階のお部屋に戻り、Y様の半世紀の人生の一こまを、お茶を頂きながら伺いました。

隣のお部屋の写真の中から、旦那様がこちらを見てます。

今日、伺ったY様のお話は、大変素晴らしいことばかりでした。

旦那様のご趣味も、素晴らしいものでした。

伺えば伺うほど、羨ましい限りです。

具体的に綴れないのが辛いところです。

好きな事をやられて、今は、写真の中から、こちらを眺めていらっしゃいますが、こんな素晴らしい奥様と出会えたりして、素晴らしい人生を送られたんではないかと思います。

今日は、カリモクの椅子の他にもいろいろ頂きました。

長い階段、下まで一緒にお荷物を降ろして下さいました、何時迄もお元気なY様、本日は、有難う御座いました。

 

 

 

 

 

 

今日はチョコレートを一つ頂きました。北大塚のS様から。

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85歳の北大塚のS様

春一番まであと一息という春の様な暖かさの中、北大塚の85歳のS様が、お店に現れました。いつもこの時間に現れては、せんべいだのまんじゅうだのを置いていかれます。

自転車の荷台にはいつものように買い込んだ食料品のレジ袋。

今日のお土産は、小さなチョコレートの小箱が一つ。

「これ、食べてっ!」
いつものような元気が有りません。

【近くの市場が閉店します。】

「あんた、そこの市場がやめるって知ってるの?」

私のすぐ近所には、昭和の終わりから30年位営業の、結構名の通った生鮮食料市場が有ります。
年の瀬になると、正月の買い出しのお客様の何重もの列が一日中続いた頃も有り、街の一つの風物詩でした。
営業努力をしなかった訳ではないと思います。
中々頭をあげてくれない景気の動向、昨日のお店のように、所謂、町場の飲食店等の数の減少で、年ごとに客数が減り、いよいよ営業をやめざるを得なくなってしまったというような事を、私も数日前に耳にしました。

確かにこの所、ここ数年、真近で見ている私の目にも、客数の減少ははっきりしてました。

イスに腰を下ろした、S様の口は収まりそうも有りません。

「私は時々、そこの市場に寄っちゃ、ここに顔を出すのが楽しみだったのに、、、   😥  」 さみしそうに語ります。
店の表は南風が強くなってきました。I

北大塚のS様

北大塚のS様

元気の無いS様の帰り途が心配です。

ラッパとバズーカ

「ちょっと前までは、経済再建だの、一億総なんとかっていう勇ましいラッパを吹いてたと思ったら、最近は何とかバズーカとか何とかで、景気なんかちっとも良くなって無いじゃない。困ったもんだよねー。私なんか、歳だから構わないけど。」

世の中の流れを良く御存じで。

今日の風のように、何時もよりはちょっと荒れ気味の、御高齢のS様。
どんな理由にせよ、こんなお年寄りに、心配事を作っちゃいけません。

何時もは何か必ず買って下さる、S様。 👿

「じゃ、又来るねー」 今日は手ぶらでお帰りです。

何と無く店を後にされた北大塚の85歳のS様。

北大塚のS様

自転車の後姿がいつに無く、さびしげで、風の強さが気になります。

景気の風は中々、春色に変わりそうも無いみたいです。

市場が無くなると、私の店もとても困る事になりそうです。
自転車姿のS様の、あの元気なお声を何時まで聞けるのか?
寂しい事です。

 

豊島区大塚での【治療機の買取】、【スカイツリー】、【富士山】、【東京タワー】との出会い

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今日の主役は、富士山でしょうか?東京タワーでしょうか?スカイツリーでしょうか?

豊島区北大塚のお客様

今日私を呼んで頂いたのは、豊島区北大塚のY様御兄弟。 訪ねて見ると、しょっちゅう私が顔を出す地域、大塚駅の北口から、都電の線路を越えた、信号機のすぐ脇の、築50年はなんなんとする、2階建ての古いお家。 間もなく解体の予定だそうです。 私を迎えて下さいましたのは、多分お兄様と妹様お二人でした。 来月、解体なさるそうです。その後の事はわかりません。ただ、羨ましい限りです。

戦前の、Toushibaの扇風機、Nationalの電気ストーブとか、私の好きなアイテムを気持ちよく譲って頂きました。 気が引けるのは、すぐ近所に私の懇意のリサイクルショップが有った事でした。 そんな関係で私も一生懸命買わせて頂きました。 そこで見つけたのがこの治療機です。

1955年の治療機

1955年の治療機

1955年の治療機

1955年の治療機

押入れの天袋の一番奥の奥で私との出会いを待ってました。

さすがに、今更、役には立たないと思います。 中から出てきた取り説に、1955年の記録が有り、今から60年も前にこのような治療機が存在していた事実にびっくりしました。 古い昭和の本箱、欅の文机、時代箪笥等、次回の引き取りのお約束の最中に一本のお電話。 墨田区は、向島からのお電話でした。 気持ち良く、北大塚のY様のお宅を後にして、春日通りから、浅草通りを経て、向島の、M様宅へ。残念ながら、私の欲しい物には出会えませんでした。 スカイツリーとの出会い そこで何と無く立ち寄ったのが、東京スカイツリーでした。 一人で行ってみました。 多少お腹も空いてました。

時間は午後の4時半頃。

そこで出会ったのが、写真の富士の顔でした。

スカイツリーからの富士山

スカイツリーからの富士山

好きになれそうなスカイツリー

普段の混雑は知りません。

今日はとても空いてました。

地上350メートルへのエレベーターも快適でした。

そこには意外と多くの人たち、矢張り若い二人連れ、中国、韓国、その他の外国の方々。

久しぶりに、何と無く、自由でのんびりの時間を味わいました。

下界の景気とか株価とか、遠い彼方のきな臭い話とか、バスの事故の悲しい思いとかを、 一瞬忘れさせてくれるそんな場所と時間でした。

今日の天気の御蔭でしょうか、遥かな美しい富士、近くの輝く東京タワー、結構好きになれそうな
東京スカイツリーに出会えたそんな一日でした。

スカイツリーからの東京タワー

スカイツリーからの東京タワー

 

豊島区千早での切手の買取。【手彫切手】、【竜文切手】、【竜銭切手。

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「あんた、何とかバーグ?って知ってるでしょう?」

「へっ?、何バーグですか?」

「あたしも良く知らないけどさー、何か、30幾つで、何兆円も寄付をするんだって言うじゃない?」

手元の埃だらけの古い雑誌、本達を段ボールの箱に詰めている私には、何兆円とかいう話は、一瞬、現実を忘れるのには十分な言葉でした。

12月の寒さにもかかわらず額からさみしい汗を流しながら手袋を外している私を見ながら、鎌倉彫の丸盆に乗った、お茶と、どら焼きを一つ私に差し出しながら、千早町のK様が、私の前に立ってました。温かい日射しです。今日は。

お盆の上には何とかバーグでも有るのかと思いながら、温かいお茶を頂きながらお話を伺うと、御自身は、今年75歳で、30代の息子様がお二人いて、そのうちのどちらかの子が、最近娘をもうけて、何か、お祝でもと言う時、何と無く、その息子様から、そんなお話を聞いたとの事でした。

私も良くはわかりませんが、フェイスブックか何かの、創始者の、なんとかザッカ―バーグと言う人の話の様な気がしました。

「私も歳でしょっ!もう決心したのよ。この世には私とは余りにもかけ離れた世界が有る事を。」

私も最近、彼に娘が生まれ、私財の5兆円を寄付に回すというような話を目にしました。

それと今日のご依頼がどんな関係が有るのか?

今私は、K様のお宅…私の店から歩いて5分ほどの、豊島区千早町のとても静かな一軒家にいます。

そこで、庭の隅に有るプレハブの物置の中身の整理をしております。

かなり時間の経った、6畳ほどのごく普通の、プレハブの物置です。

奥の方には完璧に古い洋服箪笥、横には桐のタンス、前には布張りの昭和のソファ、手前に来ると箱に入った本の山、物置には小さな窓が有りガラスが掛けてます。濡れた着物が完全に炭素化してました。

K様は、この状態を、半分は永遠にほっておくつもりだったらしいんですけど、何故か急に、片付ける気になったらしいんです。

それが何とかバーグに関してなのか、私にはわかりません。

「私、中の物全部要らないので、貴方、何とかして下さい。片付けたいのよ。」

何とかして下さいと言われましても、私が長年やってきた経験からいえば、間違い無くかなりの費用がかかります。

金額の方は御相談と言う事で、開かなくなったドアを開け、クモの巣を払いながら、何箱かの本の処理が終わった頃、K様の、バーグのお話でした。

お茶を頂きながら、御主人と一代で、昭和の荒波、平成の山々を一生懸命超えて来られたお話を伺いました。

納得でした。最もでした。私も身にしみます。

御主人に先立たれての寂しさも伺いました。

息子様への泣き言は一つも有りませんでした。安心いたしました。

今日はかなり時間がかるのを覚悟しました。

お茶を頂いた後、物置の片隅の、ぼろぼろになった茶色の、革の旅行鞄から、私が見つけたのがこの古い切手達でした。

他にも古い切手、古い絵葉書等が有りましたが、全て、水を吸ってて駄目でした。
残念でなりません。汗が涙になりました。

汗と涙の中から私の目の前に現れたのが、この古い手彫りの切手。

ぎりぎり助かってました。

K様にお見せしました。

私はもうみんな要らないので、貴方にお任せします。のお言葉。

有りがたく、大切に頂いてまいりました。

明治初期の手彫切手。竜文切手、竜銭切手でした。

かなり古い物ですが、残念なことに全て、薄紙に糊づけされてました。

30銭切手

30銭切手

500文竜文切手

500文竜文切手

一銭竜銭切手

一銭竜銭切手

半銭竜銭切手

半銭竜銭切手

これで、処分の費用が賄えればと思います。

ザッカ―バーグの住む世界とははるか離れた、豊島区千早町でのささやかな幸せとの出会いでした。