台東区谷中で【古本】の買取。【版画集】、【写真集】、【画集】、【古書】の買取
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久々の谷根千でした。

春一番の昨日から、まるで真冬に戻った今日の谷根千。

空模様に関係なく相変わらずの人出です。

今日お会いしました谷中2丁目のS様。
そうですねー、とてもお若い、気さくな奥様と言う感じ。

築50年は過ぎた3階建てのお住まいからのお引越しです。

とても気楽に一階から三階まで案内されました。

殆どの品物が仕分けされ、もし私の方で、評価できる物が有れば、御自由にどうぞと言う感じです。

一階の駐車場に無造作に積まれた段ボールの箱とビニールのごみ袋。
これはどうしますか?
それは全部ごみなの。
そこから見つけ出したのが、昭和33年の記の有る鉄瓶とか、純銀の銘々皿とか。
あと、玉川堂の茶筒とか。

一階のソファの上には、中古のブランドバッグとか古い香水達。
皆、私の好きなアイテム達です。

品揃えの最中の私の前に、本の入った重そうな段ボール箱を一つ抱えた男性の姿。
一瞬緊張しながら、「その箱はどうするんですか?」
「これ?、そこに捨てるの!」と駐車場の方へ。

【古本、古書の買取】

ちょっと待って下さいよ!

と、私が集めたのが写真の古本達。
写真集、版画集、画集とか結構面白い物が目に入ります。

古本、写真集、版画集

古本、写真集、版画集

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本を持参されたのが、こちらの御主人、S様でした。
全て要らないとの事。

昭和13年生まれのお元気そうな方でした。
殆どが父上の残されたものであり、御自分にはもう用の無いもので、すでに大量に処分なさってしまったとの事。

残念ながら言葉が有りません。
残った物から活かす物が有れば私に全て任すとノコト。

有りがたいお言葉です。

引っ越されて、那須に有る別送の方に移られるとの事です。
先程からけなげに、一生懸命動かれてる気さくな女性の方。
素晴らしい奥様ですねー
に、
奥さんじゃないんだよねー
の、
御返事。
私のヘルパーなんだよね。30年位。

私も沢山のヘルパーさんを知ってますが、これほど羨ましく思えるヘルパーさんは知りません。

今日は本当に、素晴らしい物たちを大変ありがたく頂いた上に、素晴らしい人たちとの出会いでした。

今日の株価とか、バズーカとかマイナス金利とかに、殆ど縁の無い世界にお住まいのS様、羨ましゅうございます。

久々の谷根千、又お邪魔したいと思います。
S様、有難う御座いました。

谷根千とは、谷中・根津・千駄木の頭文字をつなげたものである。

 

 

目黒区上目黒で【雛人形】、【彫刻】の買取、【ブロンズ像】の買取でした。

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目黒区上目黒の買取

山手通りを青葉台1丁目で右に折れ、蛇崩の五差路を祐天寺方向、上目黒4丁目方向にハンドルを切るとその古い一軒家が現れました。
入口の木戸をあけ、石畳を過ぎた玄関を開けるとその方は車椅子の上から、私に鋭い眼差し。背中に一瞬緊張が走ります。
私はすぐにお客様の年齢が気になります。
それは私自身の年齢のせいかも知れません。
横に立っておられる方が、私を呼んで下さったK様かも知れません。
黒縁の太い眼鏡の、いかにも穏やかそうな恰幅の良い、60前後に見える、チョッと白髪の男性の方です。
車椅子の女性は、恐らく、80歳は超えてらっしゃるかも知れません。

雛人形、洋人形の買取

私への依頼品は、雛人形と、何体かの洋人形でした。
箱書きから、雛人形は、昭和5年頃の物でした。
顔の白さにひかれましたが何せ古いもので、箱は壊れ、服は破れ、数はかなり不足し、評価にはかなり難しい物でした。洋人形は、かなり汚れ、傷みのひどい物たちが10体ほど。
古い物が有るんですけどと言うお電話でお邪魔いたしましたが、評価の難しさを申し上げました。

先方様は、何とか私に、処分をと言う申し出です。
石畳の雰囲気と建物の古さが、私は気に入ってます。

ブロンズ像の買取

いつものように「他に何か不用の物は有りませんか?」と言う私の申し出に、案内された半地下の納戸の一番奥にひっそりと佇んでいたのがこのブロンズ像でした。
眼と眼が合いました。
「私をここから出して下さい!!!」

話はすぐにまとまりました。

たまたま近所に、うちのスタッフが2名居りました。
雛人形と、洋人形の積み込みの終わる頃現れた男二人と、体の弱い私と、三人でやっとのこと、彼女を陽の目のあたる場所に連れ出す事が出来ました。
恐らく、100キロは超えると思います。
逞しく、スタイルの良い女性が一人、私の目の前に現れました。
残念ながら、作者名は今の処、不明です。年齢は54歳と見えますが、49歳かもも知れません。

落款、サイン

落款、サイン

IMG_3176

落款、サインから、御存じの方、どなたの作か教えて頂ければと思います。
彼女は今、私の矢張りうす暗い倉庫の中で、次の嫁ぎ先を夢見ております。
私の所に来てからは、表情が少し明るくなったような。
素晴らしい女性と合わせて下さいました目黒区のK様、有難う御座いました。

東京港区赤坂の【ブランド食器】の買取、【ノリタケ】の【イナギュレーション】でした。

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東京赤坂の買取

「此処には、昭和59年から住んでるの。私の歳、分かります?」

「いいえ」

「貴方は、何年生まれなの?」

「昭和2●年です。」

「私より全然若いじゃない!私は、1●年なのよ」

すぐに何歳か分かりました。
同じ年生まれの、同業の先輩が居ります。

乃木坂を下りた、赤坂9丁目。歴史の有る瀟洒なマンション、新しい建物が並ぶ静かな道沿いの落ち着いた建物の6階の一室。

こちらにお住いの今日のお客様、S様とのやり取りです。

「私、長年一人でここに住んでいて、そろそろ、身の回りを整理しようと思って…」

最近、良く耳にするお言葉です。

お部屋の中にはイタリアの輸入家具、床には赤の美しい、ペルシャ絨毯。
カップボードには、ヨーロッパのブランド食器。私の好きな物が見えます。

ノリタケのイナギュレーション

古い香水の瓶が何本かと一緒に、テーブルに上に出されていたのがこのノリタケの金彩仕上げの、イナギュレーションシリーズの、コーヒーカップ&ソーサー、プレート類のセットでした。

昭和54年のノリタケ創立75周年に際して企画された、ノリタケの当時の最高の素材、最高の技術で製作された、この世界では名器の一つに数えられるそうです。

当時の豊かな景気、華やかな世相を反映した素晴らしいアイテムの一つだと思います。

全部で30点近く、惜しむらくは、普段使いで使われた何点かに、ところどころ、金彩のはがれが見えるところ、コーヒーポットが見えない事でした。

 

ノリタケのイナギュレーション

ノリタケのイナギュレーションのカップソーサー

物の数が豊かになり、より質の良い物を求められる今、当時ほど、この品に惚れ込む人は少なくなりました。
私の金額提示にもすんなりと話が決まり、素晴らしいガラスのテーブルに出された、ヘレンドのカップに注がれた温かいコーヒーを頂きながらの、世間話です。

又例の、マイナス金利のお話です。
マイナス金利で一喜一憂される方、かなりいらっしゃるようです。

「私の趣味は、新聞に目を通す事なの、毎日。ボケ防止でねっ。」
いえいえ、ちっともぼけては居りません、更にこんなコメント。
「この頃は、カ行の人の話が多いわねー。」

黒●…、清●…、金…、クリ●…、

こんなお名前が可愛いお口から零れます。

「私、ここに住んで、30年は過ぎたけど、今ほど、世の中がつまらない時はないわねー」
「マイナス金利だの、消費税だの、無かった頃が懐かしいわ!」

私もほぼ同感です。私の薄れゆく記憶の中で、当時、金融機関から借り入れをすると、確か年利10%近い金利を払わせられながらも、活発な消費で世の中が今よりははるかに潤っていたような気がします。

そろそろ美味しいコーヒーも終わりに近づきました。

白い壁に、様々な年齢の女性の写真。

その一枚を指さして、「これって、浅丘ルリ子ですか?」

「それはあたしよー!!!、これ全部私なの!」

荷物をまとめる私の背中から嬉しそうな一声。

「貴方は、この辺りに又来るの?来たら、寄って下さい。貴方の欲しい物あげるから。」

ホントですか?赤坂のS様。

是非、また、お邪魔してみたい、港区赤坂9丁目のS様との出会いでした。

港区で【贈答品】の買取、【オールド大倉】の【紅茶碗】。

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今年の初買いです。

新年からとても美しい奥様にお会い出来ました。
細身の小柄な体を黒いワンピースで包み、玄関先に出された贈答品類を見てくださいとの事でした。
殆どが頂いたまま使われずに置かれていた食器、コーヒー碗、木箱入りの急須セットなど。
何処のお宅にも有るものは中々思うようなお値段が提示出来ません
一箱づつ中身を見ながらお値段の交渉です。
お見かけも素敵で私の申し出にもとても素敵に反応して頂きました

オールド大倉の紅茶碗でした。

30点程見させて頂いて最後に出されたのが、このオールド大倉の紅茶碗6客でした。

オールド大倉紅茶碗

オールド大倉紅茶碗

趣の違いを確認させて頂きました。
母上が、その父上から頂いて、今まで大事に保管して来たものの、今更、しょっちゅう使う物でもなく、この際、思い切って、処分してしまおうとの事でした。
6客とも、傷もなく、とても時代の有る大倉陶器の紅茶碗達でした。
壊れが有りましたが、私はその箱が気に入りました。

 

 

紅茶碗の木箱

紅茶碗の木箱

オールド大倉紅茶碗

オールド大倉紅茶碗木箱

木箱入りの物には最近、中々会えなくなってます。
先に見た30点に負けない金額で買わせて頂き、素敵な奥様のさらに素敵な笑顔に出会える事が出来ました。
場所は、まだ正月気分の残る、港区東新橋の40階は有る、所謂、タワーマンションの20階。
管理の方のお許しを得て、汗をかきながらの荷下ろしで今年の新年が始まりました。
港区の素敵なM様、有難う御座いました。

文京区大塚での買取、【茶道具】、【永楽善五郎の茶碗】。

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「それは私が持って行くの。」
「これも持って行くの。」
私が手にした、鉄瓶や青磁の香炉。
「私は、貴方の欲しいのが、分かるのよ。」

来春、引っ越すので見て欲しい物が有るの、と呼ばれてお邪魔した、文京区大塚の4階建ての古いマンションの4階の一部屋での話です。

元気なお姉妹のお姉様のお言葉です。
妹様は、私は、何もいらないと仰ってます。
結局の所は、私に買えるものが有ったら買って欲しいと言いながら、私が、
これは?」と言うと悉く「残す。残す。」と仰るお姉様。
横で妹様の口が膨れてます。
父上が使っていたと言う古い欅の机の引き出しを開けながら「ここに、眼鏡とか万年筆とか、有りませんでしたか?」
「捨てちゃったわよね~」って
お二人で合唱です。

「他に何か棄てましたか?」
モンブランの万年筆とかかなりの数の銀杯なども棄ててしまった様です。
私はお二人の顔を見つめながら「アホと呼んでいいですか?。」
怪訝な顔で見つめ合いながらお笑いのお二人。
棄てて良いものと棄てては不味いものとかを説明しながら、やっと探し当て、頂いて来たのが、この善五郎のお茶碗でした。

永楽善五郎の茶碗

永楽善五郎の茶碗

こういう物には、余り、頓着が無く、すんなりと譲って下さいました。

他に、ヘネシー、ブランデーが何本か、お琴が2面、箱の無い掛軸が10本程、欅の卓袱台1台、等々を頂いてまいりました。
今年の締めの最後の買取としては、いささかさびしい思いですが、私に楽しく対応して下さった、文京区大塚の気さくなA姉妹様、私にお声を掛けて下さいまして有難う御座いました。
歳の終わりに4階までの階段を10回ほど往復させられ、冬の真ん中で、汗だらけになりながら、車の少ない静かな春日通りを後にしました。

今年は店の真近の生鮮市場にも人出が極端に少なく、本当に二日後に、正月が来るのか、なんとなく寂しいそんな今年の、暮の一日でした。

私には寂しい一年になりそうです、今年は。

杉並区天沼で、【着物、反物】の買取、【結城紬でした】

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長閑さがこぼれそうな緑の皇居、新年の準備は済んだのでしょうか。車からは塵一つ見えない青い空気の中を、ゆっくり動く人の群れ。外国人の姿が多いようです。

そんな、残り少ない今年の日曜日の昼下がり、祝田橋を左折して、車の流れのゆったりの、晴海通りへ。少し進むと、視界の左に、おびただしい人の群れ。確か、西新橋のチャンスセンターだと思います。

年末ジャンボを求める人の群れでした。

こんなに並ぶのって感じで人の群れです。私も、いつか並んだ記憶が有ります。然しこの人の数、とても並ぶ気にはなれません。ご苦労様です。

欲しいアイテムがあったが、お断りする

私は人の群れを後にして、三原橋を右折、昭和通り沿いの銀座7丁目の、9階建ての古いビルへ。あいにくお断りのケースでした。欲しいアイテムが有りましたが、エレベーターは8階まで、そのあと9階までは細い階段。かなりのお宝に出会えない限り、お断りするしか有りません。

帰り際、昭和通りから一本裏に入った、通りの寂しさが気になりました。今の日本の一場面を見ているようで。

東京都杉並区天沼で結城紬の反物を買取る

そんな銀座を後にして、向かった所は、杉並区の天沼。

三回目のお客様です。

そこで頂いたのが写真の着物反物。残念ながら評価には厳しい物ばかり。私達の業界にはおびただしい数の着物が出回ってます。それに一般の方の需要が追い付いてません。着物を必要とする方の絶対数が減っているんです。着物の場合、一点でも評価できる場合と、百点でも評価が難しい時が有ります。今回は後者の方でした。

その中で顔を覗かせていたのが、この古い結城紬の反物でした。惜しむらくは本結城で無い事です。

結城紬

結城紬

過去に様々な骨董品を引き取らせて頂いたお客様

こちらのY様からは、過去に、所謂、バブリーな品々を頂きました。とても豪華な外国製の木製の大きなデスクが残ってますが、私は引き取りをお断りしてます。次の人を探すのが難しそうで。

帰り際、玄関を見ると、下駄箱の上に年末ジャンボの宝くじが飾られてました。

ご多幸をお祈りいたします。

確か、かなり前、日本の景気がまだ良くなかった頃、宝くじが良く売れたと記憶してます。今の景気はそれに近づいて居るのでしょうか?今日はそんな一日でした。

銀座のK様、杉並のY様、有難う御座いました。

 

板橋区での時計の買取。シチズンのエクシードでした。

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「大変ですね-、これから引越しなんですか?」

「そうなのよ、それで、お宅に来て貰ったのよ。」

「どちらまで?」

「下まで!」

「へっ?」

今日は私のお店からすぐご近所、板橋区小茂根の環七沿いの6階建てのマンションの3階のお部屋にお邪魔をしております。

引越しで、不用品の処分、買えるものは買って欲しいというご依頼で、お邪魔いたしました。60は越えたかどうかのとても体格の宜しい、肌の艶の宜しいB様。額から汗が落ちてます。

今、お住いの3階のお部屋から、2階のお部屋に移られるそうです。年内に。

頭の中は、室内の品物の検索と、「失礼ですけど、賃貸ですか?分譲ですか?」と、聞きたがっってますが止めました。

和室の畳の上には、一台の介護ベッド。ベッドの上には誰も居ません。

「今日は母のデイサービスなの、それで貴方に来て貰いました。近所で、なんとか、安心できそうなお店だったんで。」

又々、感謝、感激のお言葉です。

お引越しの詳しい事情は解りません。

女性お一人での作業、苦労の多さはすぐに分かります。

かなりの量の不用品が有りました。

布団、ホットプレート、衣類、かなりの量の本類。アルバム類に古い家具。

古いレコードが有りました。60年代のジャズ系でした。本は⚫️⚫️⚫️⚫️OFFさんにお願いしちゃったとの事ですが、断って貰い、すべて私が、お手伝いする事にしました。

重い本を箱に詰めるのが結構しんどいんです、特に女性には。

本棚に、「火花」「流」「1Q84」、漱石の本が見えました。何故か囲碁関係の本も。

私が読みたい本達でした。有り難く頂きます。

3時間ぐらいの作業でした。冬なのに、私の体は汗だらけ。

ご近所の方、女性の方のご依頼にはとても弱いんです、私は。

本来なら、幾らかの手間賃を頂かなければならないケースかも知れません。

荷物を積み終え、額の汗に手をやる私に、「これはどうなります?」

と、出されたのがこの時計です。

シチズンのエクシードでした。父上の遺品だそうです。

側は18金のホワイトゴールド、ベルトにはプラチナ850の刻印。

顔つきの精悍なエクシード

顔つきの精悍なエクシード

何と無く可愛らしいエクシード

何と無く可愛らしいエクシード

 

動いていませんが、買えば結構な品物だと思います。

目一杯頑張りました。私が支払い可能な金額を申し上げました。

一見怖そうな、B様の丸いお顔が一瞬笑って下さいました。

母上は、今年95歳、介護をして14年目だそうです。

B様のたくましさが理解できました。

こちらにはB様のお兄様も同居のご予定で、3人合わすと、来年は228歳との事でした。

ご苦労様です。

母上様の御健勝、御長寿、ご家族様のご健闘お祈りいたします。

エクシード、大切にさせて頂きます。有難う御座いました。

 

埼玉県三郷市の買取。【東京オリンピック記念メダル】、【沖縄海洋博記念メダル】。

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中川と江戸川の間と言うよりは、中川に近い、中川沿いの、三郷市の古いおうち、出迎えて頂いたのは、85歳と仰る、所謂モンペ姿の、白髪丸顔,金縁眼鏡の、F様でした。
広いお庭の車庫には車が一台。銀色のカバーに包まれてました。

中央環状から常磐道に入る手前、三郷ジャンクションから一般道に下り、何時ものように三郷の街に入ります。

関東平野の真ん中で、東京の直前で、昔から、北からの寒風をまともに受け止めてくれる街。この時期にここを訪れるといつもそう思います。強い北風を感じます。

銀色の車カバーの横に車を止め、私は何時ものようにお尋ねします。

「お品物は何ですか?私を呼んで頂いて有難う御座います。どうして私を呼んで下さったんですか?」

F様が、紺色のモンペの裾で手を拭きながら答えてくれます。

「息子が飯田橋に居て、相談したら、貴方の電話番号を教えてくれたの。」

またまた有りがたいお言葉です。

出して頂いたのが、古い着物、欅の卓袱台、掛け時計。

残念ながら、着物は古すぎたり、卓袱台、時計は壊れていたりで評価はかなりしんどそうです。

「そう思って、これも出したのよ。」

モンペの後ろから小さな包み。

藍色の風呂敷を解くと中から現れたのが、東京オリンピックの、記念メダルと、沖縄海洋博の記念メダルでした。

東京オリンピック記念メダル

東京オリンピック記念メダル

沖縄海洋博記念メダル

沖縄海洋博記念メダル

たまたま、最近、金の価格が下がってます。

ご説明申しあげました。

「わかってるわよ。もうこんな物長く持ってる時代じゃないでしょっ!」

まさしくその通りです。

最近は全ての物の価値観が急激に変化中だと思います。

世界中のおお金持ちが、手元の物の処分を始めるとか。

今日の品物も、現在、私達が積極的に欲しがるものでは有りません。明日の価格の保証が有りません。

飯田橋の息子様に感謝しながら、今、買える価格を申し上げ、金縁の眼鏡の奥で喜んで下さるお顔を拝見しながら、荷物の積み込みです。

帰りは、戸ヶ崎の信号を超え東京に入り、水元公園を左に見ながら、大谷田の信号から環七を抜けての帰路でした。

帰りの環七、かなり混んでました。このアナログ感、嫌いでは有りません。

綾瀬の駅の近くで何と無く懐かしいエンジンの音。横を抜けてく一台の車。

多分初代のフェアレディZでした。ドライバーの顔を拝見しようと追いかけましたが、追いつけませんでした。

夕暮れの環七、真っ赤なテールランプが一瞬で闇に溶け込み、灰色の空に向かって、消えて行きました。

 

 

豊島区千早での切手の買取。【手彫切手】、【竜文切手】、【竜銭切手。

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「あんた、何とかバーグ?って知ってるでしょう?」

「へっ?、何バーグですか?」

「あたしも良く知らないけどさー、何か、30幾つで、何兆円も寄付をするんだって言うじゃない?」

手元の埃だらけの古い雑誌、本達を段ボールの箱に詰めている私には、何兆円とかいう話は、一瞬、現実を忘れるのには十分な言葉でした。

12月の寒さにもかかわらず額からさみしい汗を流しながら手袋を外している私を見ながら、鎌倉彫の丸盆に乗った、お茶と、どら焼きを一つ私に差し出しながら、千早町のK様が、私の前に立ってました。温かい日射しです。今日は。

お盆の上には何とかバーグでも有るのかと思いながら、温かいお茶を頂きながらお話を伺うと、御自身は、今年75歳で、30代の息子様がお二人いて、そのうちのどちらかの子が、最近娘をもうけて、何か、お祝でもと言う時、何と無く、その息子様から、そんなお話を聞いたとの事でした。

私も良くはわかりませんが、フェイスブックか何かの、創始者の、なんとかザッカ―バーグと言う人の話の様な気がしました。

「私も歳でしょっ!もう決心したのよ。この世には私とは余りにもかけ離れた世界が有る事を。」

私も最近、彼に娘が生まれ、私財の5兆円を寄付に回すというような話を目にしました。

それと今日のご依頼がどんな関係が有るのか?

今私は、K様のお宅…私の店から歩いて5分ほどの、豊島区千早町のとても静かな一軒家にいます。

そこで、庭の隅に有るプレハブの物置の中身の整理をしております。

かなり時間の経った、6畳ほどのごく普通の、プレハブの物置です。

奥の方には完璧に古い洋服箪笥、横には桐のタンス、前には布張りの昭和のソファ、手前に来ると箱に入った本の山、物置には小さな窓が有りガラスが掛けてます。濡れた着物が完全に炭素化してました。

K様は、この状態を、半分は永遠にほっておくつもりだったらしいんですけど、何故か急に、片付ける気になったらしいんです。

それが何とかバーグに関してなのか、私にはわかりません。

「私、中の物全部要らないので、貴方、何とかして下さい。片付けたいのよ。」

何とかして下さいと言われましても、私が長年やってきた経験からいえば、間違い無くかなりの費用がかかります。

金額の方は御相談と言う事で、開かなくなったドアを開け、クモの巣を払いながら、何箱かの本の処理が終わった頃、K様の、バーグのお話でした。

お茶を頂きながら、御主人と一代で、昭和の荒波、平成の山々を一生懸命超えて来られたお話を伺いました。

納得でした。最もでした。私も身にしみます。

御主人に先立たれての寂しさも伺いました。

息子様への泣き言は一つも有りませんでした。安心いたしました。

今日はかなり時間がかるのを覚悟しました。

お茶を頂いた後、物置の片隅の、ぼろぼろになった茶色の、革の旅行鞄から、私が見つけたのがこの古い切手達でした。

他にも古い切手、古い絵葉書等が有りましたが、全て、水を吸ってて駄目でした。
残念でなりません。汗が涙になりました。

汗と涙の中から私の目の前に現れたのが、この古い手彫りの切手。

ぎりぎり助かってました。

K様にお見せしました。

私はもうみんな要らないので、貴方にお任せします。のお言葉。

有りがたく、大切に頂いてまいりました。

明治初期の手彫切手。竜文切手、竜銭切手でした。

かなり古い物ですが、残念なことに全て、薄紙に糊づけされてました。

30銭切手

30銭切手

500文竜文切手

500文竜文切手

一銭竜銭切手

一銭竜銭切手

半銭竜銭切手

半銭竜銭切手

これで、処分の費用が賄えればと思います。

ザッカ―バーグの住む世界とははるか離れた、豊島区千早町でのささやかな幸せとの出会いでした。

 

文京区小石川での古美術品の買取。【香取秀真の獅狛】、【蒔絵の煙草入れ】。

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「これはねー、私の父がとても大切にしていた物なのよ。」

と言いながら仏壇の横で、半分ほど開かれた、押入れの上の段から、両手で重そうに出されて来たのが、この、獅子と狛犬の置物でした。

箱には「獅狛」の銘。昭和3年作の記。
裏には、秀真の名。

香取秀真の獅狛

香取秀真の獅狛

人間国宝の金工作家香取正彦の父、香取秀真の作品でした。
正彦の作品は度々出会いましたが、父の作品の方が珍しいかなと思います。

今日私を呼んで頂きました、文京区小石川の播磨坂のお近くの、とても古そうなお屋敷にお住まいの、80歳は越えられたでしょう、眼鏡の奥できらりと輝くまあるい眼が印象的な、和服姿のF様。

「何か私の息子が、以前、千代田区の方でお世話になったそうで、貴方を呼ぶように言って呉れたのよ。」

何とうれしいお言葉でしょう。

お値段の提示には大分悩みましたが、快く譲って頂くことになりました。

御気分が宜しかったのか、これもどうぞと頂きましたのが、この蒔絵の煙草入れでした。

蒔絵の煙草入れ

蒔絵の煙草入れ

普段使いで使われていたらしく、多少の痛みが見えますが、美しい物でした。

最近、中々この手の物に出会えなくて苦労しております。

本日は素敵な物をご手配して下さった、F様の、息子様、ありがとうございました。