真鍮製のサモワールと古い灰皿セットとの出会い|文京区本駒込でアンティーク品の買取

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本日お伺いしたB様は、
戦後間もなくにお生まれとの事でした。

今日はそのB様の娘さまからご依頼を受け、文京区本駒込に来てます。

秋の本駒込は、私の好きな街のひとつ。道路沿いの並木は、気温の低下とともに紅の様相に様変わりするでしょう。

 

娘さまは、お父様を介護なさってるとのことで、この時間(14:00)はB様が信頼しているデイサービスに行ってらっしゃるんだそうです。

その間に、私を呼んで下さりました。

 

なんとなく、介護をしている人間のみ知りえる、それなりの疲れを私なりに感じてます。

「私も母の面倒見てるんですけど、大変ですよねぇ」

そんな言葉が自然と出てきて、暫し、お互いの介護談義。

最近のお父様は、介護士との方とのおしゃべりの方が話が盛り上がるんだそうで。一瞬、仕事のことを忘れ話し込んでしまいました。

 

古い倉庫内で真鍮製のサモワールと古い灰皿セットとの出会い

そんなB様のご依頼は、敷地にある倉庫内の古い物を見て欲しいとの事。

今回は最近購入されたばかりのスマホでうちのつたないホームページをご覧くださって、
何と無く整理をしたくなったんだそうです。

重そうな木の扉を開けて中に入ると、この残暑とは似つかない、なんとなくひんやりとした倉庫内。

長い間、整理や片付けは行ってないと一目で解りました。

力なくぶら下がっている裸電球に灯を入れると、まるでご主人の帰りを待っていたかのように、あたりの「古いものたち」の存在感がグッと増し始めました。

時代の流れを感じる、古い柱時計、花瓶、食器、木製の家具などが、倉庫の奥までぎっしりと積まれてました。

保存の状況が思わしくなく、かわいそうな子達がたくさん見受けられました。

 

幾ら眺めてもこれはと思われる物には出会えませんでした。今日一日での整理は至難の業と判断しました。残念ながら。

取り急ぎ、今日私と共に豊島区に一緒に連れて帰ることになったのが、写真のサモワールと古い灰皿たち。

真鍮製のサモワール

いずれも真鍮(しんちゅう)製です。

真鍮製の灰皿セット

真鍮とは、いわゆる黄銅の事です。銅と亜鉛の合金になり亜鉛の比率が20%以上のものをいうんです。

このいでたちと、柄の感じ、出所はおそらく台湾か中国だと思います。

真鍮製の灰皿

柄

実はこのB様のルーツに中国・満州に関する時代があったんだと、娘さまがおっしゃってました。

あまり話したがらない様子なので、あまりその話には触れませんでしたが。

この手の物達は、早くのこの平成の世を見せてあげねば、そんな想いが私の査定を甘くしてしまったのか、後から後悔するレベルの買取になってしまいました(笑)

 

それはさて置き・・。

 

ITの登場により急速に進み続ける日本の文化、空気が「この子たち」の存在を受け入れなくなってしまうような気がしてなりません。

満州時代の銀製花瓶の引き取り|新宿区余丁町にて銀製品の買取

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「銀製の花瓶が有るんだけど」

うちのチラシを見た、女性お客様からの連絡でした。

ちょっと前にチラシの構成を少し変えたんで、その効果かなと「してやったり」の気持ち(笑)

こういうアイテムのお問い合わせの時は、私の愛車のアクセル踏み込みにも俄然力が入ります。
スピードを出しすぎないように、はやる気持ちを抑えつつ。

 

新宿区余丁町の古いご自宅での買取

場所は、新宿区余丁町。

たしか都営大江戸線「若松河田駅」付近だと記憶してます。

この辺りは、過去にも私の好むアイテムをゲットした場所でもあるので、自然と期待が高まります。

今回は、ご自宅の建て替えで、家の中の整理中の60代の奥様からのお電話でした。

非常にゆるやかなテンポでお話になられる奥様で、
昔付き合ってた友人になんとなく似ていて懐かしい気持ちになっちゃいました。

愛車のカーナビが示す付近に到着すると、軽く築40年以上は経過している思われる「昭和の雰囲気漂う」木造一戸建てのご自宅です。

気を引き締めていざ入口へ。

 

満州時代の純銀の花瓶との出会い

銀製花瓶の銅箱

既に玄関口に、お椀、お盆、お重、コーヒーカップ、グラスの入った箱が山積みになってました。

この手合い、相当の数が無いと、中々ご希望の金額を払えない場合が多いんです。

心の中で

「あらら、ちょっと思ってたよりも・・・」

少しネガティブな気持ちになりかけるも、気持ちを盛り返して、淡々と作業する私。

いわゆる「山」を全部片づけた後、部屋のひっそりと場所にあった押し入れから出てきた品が。

それがこの桐の箱に納められた、純銀の花瓶でした。

花瓶の正面の城はどこのものでしょうか。

満州時代の銀製花瓶

純銀

更に、花瓶を反転させると「康徳5年7月」という年号が記載されてます。

康徳時代の純銀花瓶

見た瞬間、私の鼓動が高鳴りました。

久々の感覚、そしてそれまでの作業で疲労していた疲れが吹っ飛びました。

この「康徳」とは旧満州国の元号で、帝政に移行した1934年3月1日から、満洲国が崩壊した1945年8月18日まで使用されてたんです。

「康徳5年」だと1938年頃でしょうか。日本でいう昭和13年か14年ごろ。

あの満州事変から7年くらい経過してます。

そんな日本と中国との武力紛争があった中で、このクオリティ。

目の前に等身大の鏡があったんですが、私の唇が緊張でカサカサになってます。

 

大奮発での買取

奥様にこの話をすると、

「私の祖父、実は満州時代、満州銀行の頭取だったんです」

とのこと。

「へえ、これはまた数奇な出会いです」と、私。

ちなみに、満州銀行は、国家資金の保管・管理、及び金融市場のコントロール、さらには満州国内の金融システムを統一してたらしいです。

なんで知ってるかって?
私の古い友人で詳しいやつがいたんです。

そんな訳で、先程のお椀達よりははるかに高価なお値段で買い取らせて頂きました。

しかもかなり奮発の買取で。

お支払いを済ませて、荷物を車に積み込むときに

「これ持って行って」

オロナミンCを両手で抱えながら奥様が小走りでこっちに向かってます。

それを見て私も笑顔。

 

夏の空から秋の様相に変わりつつある夕方を、オロナミンCを飲みながら走りました。
これから、店に帰って品物の整理が待ってます。

余丁町のS様、有難う御座いました。

倉庫整理中に出会った「小松均」の作品|中央区日本橋で木版画の買取

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日々のこなさなければいけない業務の数々。

なんとなく忙しかった私は、ちょっと気分の転換が必要だと感じてました。

ある脳科学者が

「場所と雰囲気を変えることにより、新しい発想が芽生え、すべての仕事にプラスの作用をもたらす」

そんなことを小耳にはさんだとことがあります。

 

中央区日本橋に倉庫の整理・片付け

中央区日本橋

気分を転換するには、いつもと違う街並みに身を置くのもしかり。今日のお客様からの出張依頼の場所は東京のど真ん中。

わたしの気分を盛り上げてくれるには、うってつけの場所です。

この町はすれ違う人も、そして車も気品を感じるというか。私が住んでる町とは、一味ちあう風情を感じるこの場所は、好きな街のひとつです。

お伺いしたのは、中央区日本橋。

自宅を売却されるにあたり、敷地内にある倉庫を整理して欲しいという依頼です。

 

倉庫内で小松均の作品との出会い

そして私は薄暗い倉庫の中で、まだ初秋の暑さの残る中、額に汗をつたわせつつ、一人、品物整理です。

そこで今日はこんな”大和撫子”との出会いがありました。

暗い倉庫内の、ずいぶん昔に組まれたと思われる木製の棚の上に額がひとつ。

小松均の版画です。

私の記憶が確かなら3年前の丁度今頃、小松均作の別の版画を新宿の神楽坂で出会った記憶が蘇りました。

あれから3年、久々の出会いでのちょっとした興奮により、さらに額からの汗が滴り、いったん倉庫から出て、少し大きめの深呼吸。

人が滅多に入らない暗い倉庫の奥のでじっと待ってたんですね。

初秋の澄んだ陽の目に出会うのを。

 

小松均の版画

この子も、この世に生まれ、かなりの年月が経ってると思います。

小松均と言えば、別名「仙境の画人」と言われるほどの人物。

京都近郊の大原に住み、大原の風景を題材にした作品を多数残してますが、最終的には「文部大臣賞」を受賞するなど数々の功績を残してます。

「写実を尽くして写実を捨てろ、しぜんを追求して自然を離れろ」

この思いを胸に、墨線による表現を模索し力強い独自の作風を確立していったのが特徴なんです。

小松により、命を吹き込まれたこの版画の女性は、久しぶりにこの世を見てどんな気持ちでしょう。

 

思い切った査定

倉庫の整理も終わり、依頼を頂いた奥様とお茶を飲みながら小休憩。それとなく、私が一番気になっていた版画の話をすると

「持って行って下さい。早めに色々な整理をなくちゃならないの」

売却が決まり、その後の解体などの予定が、間もなく迫ってるとのことでした。

私も大分奮発させて頂き、引き取らせて頂きましたが、後から「ちょっと頑張りすぎたかな」と少しだけ後悔。

しかし奥様は満面の笑み。

仕事を多くこなしてればこんなことは良くある、と自分を慰めて(笑)

 

良く晴れた夕空に、風で流れる大きな雲がひとつ。

そいうえば、8月の雲は遠目に積乱雲とわかる渦を巻いたような雲が多かったんですが。

もう終わるんですね、夏が。

四季の移り変わりが年々早く感じる今日このごろ。

日々の業務ですこしだけ刺激が欲しかった私は、この日本橋の1コマで普段の私に戻れた気がします。

 

木版画などの引き取りはお任せください

今回のような小松均などの作品はコレクターの中でも今も根強い人気を保っております。

買入れ本舗では、東京都内近郊での、著名な作者の作品の買取に力を入れております。

初秋に出会った「ヒロ・ヤマガタ」|杉並区南阿佐ヶ谷にてリトグラフの買取

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「この額に入っている立派な山は?」

広く、良く整理された玄関に掛けられた大きさ10号くらいの額に、晴天に彩られた雄大な山の写真に思わず目を奪われました。

「福島の会津磐梯山なんですよ」

遠い記憶の引き出しから、若いころ友人と一緒に登った記憶がフラッシュバックで蘇りました。あまり良い記憶でなく、足を引きずりながら登ったあの頃(笑)

「亡くなった主人の実家が、福島なんです」

 

杉並区南阿佐ヶ谷でのご依頼

杉並区南阿佐ヶ谷

今日は、9月に入ってすぐお電話を頂いた、南阿佐ヶ谷にお住いのS様宅にお邪魔しました。地下鉄丸ノ内線の「南阿佐ヶ谷駅」から程なくにある閑静な住宅地です。

恐らく築30年は過ぎているであろう立派な木造住宅。

庭にはお手入れが行き届いた植栽が、元気に葉を広げてました。
紅葉前の紅葉かなんかでしょうか。

私の好きなロケーションのひとつです。

随分と長く付き合っている我が愛車を停めて、ドアから降りると石垣の塀にトンボが2匹。
そういえば、ここ最近は夏の暑さから、秋の雰囲気に様変わりした気がします。

時間が経つのは早いものです。

 

インターフォン越しに奥様の声。

落ち着いた、それでいて愛嬌のある声に誘われて、ご自宅へご案内頂きました。

「どうぞお上がりになって。」

中は現代の叡智を駆使した、バリアフリーが行き届いてます。花柄のスリッパに替えると、テーブルの上には一杯の冷たい緑茶が私が待っててくれました。

有りがたい事です。

 

ヒロ・ヤマガタとの出会い

ヒロ・ヤマガタ

アンティークの箪笥は丁重にお断り致しました。着物はタンス一棹から、大島、単衣など、約10着ほど、頂きました。

そして、床の間には古い額に入ってある絵がふたつほど、ひっそりとこちらを見てました。亡くなった旦那さまが、まだ働き盛りのころ、美術好きの友人から購入して大切にしてた物だそうです。

「お父さんの趣味のものだったんだけど、特に場所も取らないんでそのままにしてたんです」

最近ではそんなに売れる物では無いと思ってたそうです。

然し、よく見るとひとつは「ヒロ・ヤマガタ」のリトグラフでした。

ヒロのシルクスクリーン技法を用いた、鮮やかな色で描かれた色合いの絵が、異国にでもいったかのような錯覚を覚えさせます。

日本ではこのような、カラフルな色使いの版画があまりにも有名なんですけど、世界のヒロヤマガタとしては、レーザーやホログラムを使った作品の方が評価が高いんです。

「この絵を見て、お父さんいろんな場所に行きたがってたんです」

旦那様は、生前、足が少し不自由だったそうでどこに行くにも制限があったとのこと。昔TBSかなんかで放送されてた「世界遺産」という番組や、その他旅行関連のテレビが好きだったんだそうです。

 

奮発して、私なりの高額査定

ちなみにこの「ヒロ・ヤマガタ」の作品、一時かなり高価で取引されました。誰でも欲しがりました。

値段によっては、この思い出の詰まった絵を手放しても良いというお話。

先ほど見た会津磐梯山の広大なカットを思いながら、私も目いっぱい、心を広く、奮発してみました。

帰り際の玄関前で奥様の柔和な笑顔、そして「ちょっと雰囲気の飲まれたかな(笑)」という私の心に一抹の不安。

何故か今日、ここで出会ったヒロ・ヤマガタは何を意味してるんでしょうか?もしかするとたまには仕事を休んで、思い切って旅行でも行ってみたら、なんておてんとさんが言ってるのかもしれません。

すぐにはいけなかもしれないので、今日は行きつけの銭湯でも行って富士山でも眺めて一息つこうと思います。

 

そんな初秋の1日でした。