レオナールビュッフェのリトグラフなど絵画の買取|東京都台東区の蔵前でトランクルームの整理

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台東区蔵前でのトランクルームの整理

昨年の暮れに、千代田区の九段下で、大量の和食器をお売り頂いたM様からの依頼です。

蔵前のトランクルームの荷物を整理なさりたいとの事。

前回と同じく、和食器や花瓶や着物、絵画などが大切に保管されていました。

考えた挙句の決断だそうです。
私もその決断には賛成です。

世の中にあらゆる品物が溢れている今日この頃、物によっては長く保管するのもどうかなという物が少なくありません。

荷物の中から、きちんと包装された絵画が何点か出てきました。

当時、昭和の終わりころ、かなりのお値段で購入されたと思います。

レオナールビュッフェのリトグラフなど絵画の買取

ビュッフェのサイン

ビュッフェのサイン

ビュッフェのリトグラフ、北村巌の油絵、吉沢照子の日本画などが現れました。

ビュッフェのヨットの作品。

右下には鉛筆書きのビュッフェのサインが見えます。今でも好きな人が多い作者です。

気持ちの整理の済んだM様、頑張って私が提示したお値段で心地よく譲って頂きました。

有難うございます。

セキュリティーの効いた、トランクルームの建物からの荷物の搬出は結構時間がかかります。

チョット、春に近づいた今日の天気。

額から落ちる汗が、台車の上の、ビュッフェに落ちないように必死です。

九段下のM様、今日は素敵なもの達を有難うございました。

トランクルームなどのレンタル倉庫などの整理・片付けはお任せ下さい

買入れ本舗では、トランクルームの整理、片付け、不用品の整理買取などを積極的に行っております。
ご相談ください。

電話番号は、0120-5394-55です。

倉庫整理中に出会った「小松均」の作品|中央区日本橋で木版画の買取

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日々のこなさなければいけない業務の数々。

なんとなく忙しかった私は、ちょっと気分の転換が必要だと感じてました。

ある脳科学者が

「場所と雰囲気を変えることにより、新しい発想が芽生え、すべての仕事にプラスの作用をもたらす」

そんなことを小耳にはさんだとことがあります。

 

中央区日本橋に倉庫の整理・片付け

中央区日本橋

気分を転換するには、いつもと違う街並みに身を置くのもしかり。今日のお客様からの出張依頼の場所は東京のど真ん中。

わたしの気分を盛り上げてくれるには、うってつけの場所です。

この町はすれ違う人も、そして車も気品を感じるというか。私が住んでる町とは、一味ちあう風情を感じるこの場所は、好きな街のひとつです。

お伺いしたのは、中央区日本橋。

自宅を売却されるにあたり、敷地内にある倉庫を整理して欲しいという依頼です。

 

倉庫内で小松均の作品との出会い

そして私は薄暗い倉庫の中で、まだ初秋の暑さの残る中、額に汗をつたわせつつ、一人、品物整理です。

そこで今日はこんな”大和撫子”との出会いがありました。

暗い倉庫内の、ずいぶん昔に組まれたと思われる木製の棚の上に額がひとつ。

小松均の版画です。

私の記憶が確かなら3年前の丁度今頃、小松均作の別の版画を新宿の神楽坂で出会った記憶が蘇りました。

あれから3年、久々の出会いでのちょっとした興奮により、さらに額からの汗が滴り、いったん倉庫から出て、少し大きめの深呼吸。

人が滅多に入らない暗い倉庫の奥のでじっと待ってたんですね。

初秋の澄んだ陽の目に出会うのを。

 

小松均の版画

この子も、この世に生まれ、かなりの年月が経ってると思います。

小松均と言えば、別名「仙境の画人」と言われるほどの人物。

京都近郊の大原に住み、大原の風景を題材にした作品を多数残してますが、最終的には「文部大臣賞」を受賞するなど数々の功績を残してます。

「写実を尽くして写実を捨てろ、しぜんを追求して自然を離れろ」

この思いを胸に、墨線による表現を模索し力強い独自の作風を確立していったのが特徴なんです。

小松により、命を吹き込まれたこの版画の女性は、久しぶりにこの世を見てどんな気持ちでしょう。

 

思い切った査定

倉庫の整理も終わり、依頼を頂いた奥様とお茶を飲みながら小休憩。それとなく、私が一番気になっていた版画の話をすると

「持って行って下さい。早めに色々な整理をなくちゃならないの」

売却が決まり、その後の解体などの予定が、間もなく迫ってるとのことでした。

私も大分奮発させて頂き、引き取らせて頂きましたが、後から「ちょっと頑張りすぎたかな」と少しだけ後悔。

しかし奥様は満面の笑み。

仕事を多くこなしてればこんなことは良くある、と自分を慰めて(笑)

 

良く晴れた夕空に、風で流れる大きな雲がひとつ。

そいうえば、8月の雲は遠目に積乱雲とわかる渦を巻いたような雲が多かったんですが。

もう終わるんですね、夏が。

四季の移り変わりが年々早く感じる今日このごろ。

日々の業務ですこしだけ刺激が欲しかった私は、この日本橋の1コマで普段の私に戻れた気がします。

 

木版画などの引き取りはお任せください

今回のような小松均などの作品はコレクターの中でも今も根強い人気を保っております。

買入れ本舗では、東京都内近郊での、著名な作者の作品の買取に力を入れております。

初秋に出会った「ヒロ・ヤマガタ」|杉並区南阿佐ヶ谷にてリトグラフの買取

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「この額に入っている立派な山は?」

広く、良く整理された玄関に掛けられた大きさ10号くらいの額に、晴天に彩られた雄大な山の写真に思わず目を奪われました。

「福島の会津磐梯山なんですよ」

遠い記憶の引き出しから、若いころ友人と一緒に登った記憶がフラッシュバックで蘇りました。あまり良い記憶でなく、足を引きずりながら登ったあの頃(笑)

「亡くなった主人の実家が、福島なんです」

 

杉並区南阿佐ヶ谷でのご依頼

杉並区南阿佐ヶ谷

今日は、9月に入ってすぐお電話を頂いた、南阿佐ヶ谷にお住いのS様宅にお邪魔しました。地下鉄丸ノ内線の「南阿佐ヶ谷駅」から程なくにある閑静な住宅地です。

恐らく築30年は過ぎているであろう立派な木造住宅。

庭にはお手入れが行き届いた植栽が、元気に葉を広げてました。
紅葉前の紅葉かなんかでしょうか。

私の好きなロケーションのひとつです。

随分と長く付き合っている我が愛車を停めて、ドアから降りると石垣の塀にトンボが2匹。
そういえば、ここ最近は夏の暑さから、秋の雰囲気に様変わりした気がします。

時間が経つのは早いものです。

 

インターフォン越しに奥様の声。

落ち着いた、それでいて愛嬌のある声に誘われて、ご自宅へご案内頂きました。

「どうぞお上がりになって。」

中は現代の叡智を駆使した、バリアフリーが行き届いてます。花柄のスリッパに替えると、テーブルの上には一杯の冷たい緑茶が私が待っててくれました。

有りがたい事です。

 

ヒロ・ヤマガタとの出会い

ヒロ・ヤマガタ

アンティークの箪笥は丁重にお断り致しました。着物はタンス一棹から、大島、単衣など、約10着ほど、頂きました。

そして、床の間には古い額に入ってある絵がふたつほど、ひっそりとこちらを見てました。亡くなった旦那さまが、まだ働き盛りのころ、美術好きの友人から購入して大切にしてた物だそうです。

「お父さんの趣味のものだったんだけど、特に場所も取らないんでそのままにしてたんです」

最近ではそんなに売れる物では無いと思ってたそうです。

然し、よく見るとひとつは「ヒロ・ヤマガタ」のリトグラフでした。

ヒロのシルクスクリーン技法を用いた、鮮やかな色で描かれた色合いの絵が、異国にでもいったかのような錯覚を覚えさせます。

日本ではこのような、カラフルな色使いの版画があまりにも有名なんですけど、世界のヒロヤマガタとしては、レーザーやホログラムを使った作品の方が評価が高いんです。

「この絵を見て、お父さんいろんな場所に行きたがってたんです」

旦那様は、生前、足が少し不自由だったそうでどこに行くにも制限があったとのこと。昔TBSかなんかで放送されてた「世界遺産」という番組や、その他旅行関連のテレビが好きだったんだそうです。

 

奮発して、私なりの高額査定

ちなみにこの「ヒロ・ヤマガタ」の作品、一時かなり高価で取引されました。誰でも欲しがりました。

値段によっては、この思い出の詰まった絵を手放しても良いというお話。

先ほど見た会津磐梯山の広大なカットを思いながら、私も目いっぱい、心を広く、奮発してみました。

帰り際の玄関前で奥様の柔和な笑顔、そして「ちょっと雰囲気の飲まれたかな(笑)」という私の心に一抹の不安。

何故か今日、ここで出会ったヒロ・ヤマガタは何を意味してるんでしょうか?もしかするとたまには仕事を休んで、思い切って旅行でも行ってみたら、なんておてんとさんが言ってるのかもしれません。

すぐにはいけなかもしれないので、今日は行きつけの銭湯でも行って富士山でも眺めて一息つこうと思います。

 

そんな初秋の1日でした。

東京台東区浅草での木版画の買取でした。平塚運一の木版画[夏のおどり]

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秋に出会った夏の踊り

雷門の大提灯を横目に、かなり年季の入った煉瓦造りのマンションの4階に呼ばれました。

矢張り、年季の入った、程よい白髪に、角刈りの似合うお兄様。

版画とリトグラフが有るからと呼ばれました。

以前やられていた喫茶店の壁に飾られていたそうです。

平塚運一の木版画

見ると、平塚運一の木版画が5、6点。後は一時流行った、軽いリトグラフが、7、8点。

木版画の一枚が何となく気に入り、満足して頂けるお値段で譲って頂きました。

生憎近くにはコインパーキングも見つからず、ハザードを点けたままの必死の買取でした。焦るとよく、ガラスを割ったりします。

その中の一枚の平塚運一の木版画がこれです。

赤の色の綺麗さと、ショーガールの太ももに往時の浅草国際劇場の面影が重なって、何と無く懐かしさを覚えました。

平塚運一の木版画

平塚運一の木版画

平塚運一の木版画

平塚運一の木版画

平塚運一の木版画

平塚運一の木版画

帰り際、仁丹塔が有った辺りの、国際通りを後にしながら、何と無く、時の流れを感じさてくれた、東京浅草での木版画の買取でした。

買入れ本舗は東京台東区浅草周辺での古い物の買取が大好きです。どんなものでも一声かけてください。一所懸命買わせていただきます。

平塚運一[ウィキペディア]

1895年(明治28年)11月17日、島根県八束郡津田村(現松江市)に生まれた。島根県立松江商業学校に入学したが、1913年(大正2年)に中途退学し、松江市役所に勤務。石井柏亭の洋画講習会がきっかけとなり、1915年(大正4年)に上京してデッサンに励み、さらに版画技術を会得[1]。1916年(大正5年)には、二科展に版画作品が入選し、日本美術院展には油彩作品と水彩画作品が入選した。1917年(大正6年)に帰郷して結婚し、公立小学校の図画教員となった[1]。
1927年(昭和2年)から棟方志功らを指導し、1928年(昭和3年)には棟方や畦地梅太郎とともに雑誌『版』を創刊。1930年(昭和5年)には国画会の会員となった。1935年(昭和10年)には東京美術学校の版画教室開設にともなって教壇に立ち、1941年(昭和16年)からは日本女子高等学院や公立中学校でも教えた。1946年(昭和21年)には山根幹人(映画監督)らの協力を得て松江美術工芸研究所を開設した。1962年(昭和37年)には渡米して、活動拠点をワシントンD.C.に移し、アメリカ各地で個展を開くとともに版画の普及に努めた[1]。日本国内においても地方での版画普及活動に熱心であり、棟方、畦地、菊地隆知、北岡文雄など日本を代表する版画家を育てた。
1977年(昭和52年)には勲三等瑞宝章を受け、1989年(平成元年)には松江市名誉市民に推挙された[1]。長野県内の版画普及に携わった功績を称えられ、1991年には須坂市に須坂版画美術館・平塚運一版画美術館が開館した[2]。1997年(平成9年)11月18日、102歳で逝去した。

 

港区南青山で買取の版画との出会い。竹久夢二の版画でした。

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新しい発想に出会うに

場所と雰囲気を変えることにより、新しい発想に出会えるようになり、すべての仕事にプラスの結果をもたらすそうです。
ご立派な知事様の貴重なお言葉です。

週末には必ず、知事様が訪れると言う神奈川湯河原。
新しい発想との出会いを求める多くの忠実な都民の方々で、
緑の湯河原は今頃、廃ガスの湯河原になっているんではと心配です。
それ位今日の私の街は静かです。閑散としてます。
曇り空に黒いカラスが一羽飛んでます。
一生懸命動くのは、何時もの宅配のお兄様。
横の酒屋さん、向かいの居酒屋さん、隣のスナック。
どちらの軒先にも白い連休のお知らせ。
羨ましい限りです。
ゴールデンウィークにはとうの昔に見切りをつけられた私は、お店の奥で一人、品物整理です。
そこで今日はこんな美人と出会えました。

夢二の版画に出会いました

夢二の版画が出てきました。
確か二年前の夏頃、港区南青山で出会った記憶があります。
可哀想にそれから二年間、お店の奥のくらい倉庫でじっと待ってたんですね。陽の目に出会うのを。
8枚組の内、3枚が足らず、そのまま忘れられて居たようです。
その中の二枚です。
柳湯と、逃げた小鳥

夢二の版画

夢二の版画 柳湯

夢二の版画

夢二の版画 逃げた小鳥

二人ともこの世に生まれ、100年位は経ってると思います。
愁いに包まれたモダンでロマンチックな女性たち。
愁と苦悩に囲まれて孤独な一生を送ったという夢二。
そんな夢二と自分の人生なんかを重ねて、一瞬、ロマンの世界のドアを開けようかという時、テレビの画面からは、神戸の方からの悲惨な叫び。
時も場所も関係なく伝えられる最近の悲劇。
ロマンに浸るいとまも有りません。
久しぶりにこの世を見た100年前の美女たち、どんな気持ちでしょう。
曇り空の静かな私の街に眼を向けると、どこからか聴こえるカラスの啼声。
行楽地にお出かけの多くの方々、素晴らしい発想に出会い、休み明けの生活に、是非、多くのプラスのあらん事をお祈り致します。

 

神奈川県葉山町、「リトグラフの買取」。「ピカソ」のリトグラフ

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今日は神奈川県の葉山町です。

神奈川県葉山町のT様ご姉妹、今日は、お呼びに預かり有難う御座いました。御蔭さまで久しぶりに、葉山から逗子への海風に当たる事が出来ました。
西池袋の入り口から中央環状線に吸い込まれ、羽田を横に見ながら横横道路を縦断の、距離は85キロ、時間にして1時間半のドライブも間もなく終わり、葉山の御用邸を右に見ながら、再び山の方にハンドルを切ると、長い歴史に刻まれたT様お住まいのお上品な建物に到着いたしました。
私は居心地の良いところには長居をしてしまうみたいです。
初めてお会いした、T様ご姉妹から、素晴らしい人生遍歴などを伺いながら、コーヒー等を頂きながら、本題の、お話へ。
お引越しのお手伝いをさせていただきながら、不用な物を買い取らせていただくお話です。
今日は取り敢えず、カシニョールのリトグラフと、ピカソのリトグラフを買い取らせて頂きました。

ピカソのリトグラフ

ピカソのリトグラフ

他の物達もなんとか話がまとまりそうで、次は、春の葉山にお邪魔させて頂けそうな、私には結構な出会いの一日でした。

「私、幾つか大体分かるでしょっ?」
コーヒーを頂きながら、お姉さまからのご質問です。
私より、年配であろう事は推測できますが、少なくとも女性の方に対して、軽々しく、自分の口からうっかりでも、数字を口に出すことは簡単ではありません。
横の妹様が、「私は今年、7●歳で、この人は私の5歳上なの。」
わたしも、大体そんな処ではないかと思ってましたが、私が驚いたのは、「私が、インターネットで貴方を見つけたのよ。」

頭の先から足元まで、知性と教養の下着の上に、経験と自信のドレスを纏ったような、何と無く、往年のスタイル、容姿の素晴らしさを、今でも十分に感じさせてくれそうな、お姉さまのお口からこぼれた言葉に、私は一瞬、驚いてしまいました。

星の数ほど…葉山の海の砂の数ほどある、インターネットの同業者の中から、わたしに辿り着いて下さった、お姉さまに、そして、呼んで下さった妹様に、感謝の、お礼の言葉が見つかりません。

モノとの出会い、ヒトとの出会いは、とても貴重な縁から始まると私は思って居ります。

朝向かう時、ナビの情報を見ながら、ハンドルがいくらか重く感じられました。

帰り道。葉山から逗子への、土曜の午後ののどかな、春を待つ海岸。
渚橋の近くで心地よい海風にあたり、今日は葉山の海で、目に見えぬ大きなパワーを頂いて帰る事が出来ました。
素敵なご姉妹、T様。
またお会いできると思って居ります。
有難う御座いました。

 

杉並区下井草での[遺品整理]。[岩谷堂箪笥]を買取りしました。

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岩谷堂のサイドボードの買取り

「父が遺した物ですが、大きすぎて処分したいんです」
一階の駐車場の隅にひっそりと置かれていました。
ひっそりと言うよりは寂しそうにの方が似合うかも知れません。

岩谷堂のサイドボードでした。
殆ど使われた形跡はなく、とても美しい一品です。
今でも多くの方が欲しがるアイテムだと思います。
ただ幅が1メートル50は有り、今日の御依頼主、S様の言葉の通り、普通の部屋に置くにはかなり大きな物だと思います。

遺品の整理

最近、50歳前後の男性のお客様に良く呼ばれます。殆どが、父上の遺品の整理です。
今日のS様もやはり50歳前後だとお見受けしました。

お訪ねした所は杉並区の下井草。
妙正寺川沿いの立派なお屋敷です。間もなく咲く、桜の花が似合いそうな。
急な父上の御逝去で、遺品の整理の真っ最中でした。
かなり長い間、高血圧を患われた父上だそうです。
80前の御逝去だとの事です。
同じような場面は、数え切れないほど経験して参りました。

私たちはお客様の御依頼を受け、お客様の心が今以上痛まないようにと思いながら様々な品物を買取させて頂いております。
長い間、日の目を見る事無く、押入れの奥に押し込まれて埃にまみれた様々な物達。
遠い昔から長い時間を掛け、引き継がれてきた様々な美術品類。
それを手にして、また、それを欲しがる次の方に、引き継ぎ出来た時などは、自分が好きでやってる此の稼業ですが、業者冥利につきる瞬間です。

今回の様な岩谷堂の箪笥。

岩谷堂箪笥シール

岩谷堂箪笥のシール

こういう品物を長い間、車庫の片隅に置きっぱなしにしてはいけないと思います。
好きな方が少なくありません。ネックは、大きさと価格です。

S様と、父上の生前の御趣味等をうかがいながら、他に、残された浮世絵の版画等を何点か、美術関係の書籍を段ボールに二箱程頂きながら、S様納得の金額で買取させて頂きました。

私の知り合いに岩谷堂に目の無い、居酒屋の御主人が居ります。
彼の顔を思いながら、重さを忘れ大事に頂いて参りました。

おかげで今日の夜は、その居酒屋で軽く一杯というコースを終え、家に帰ると、横のテレビでは、日中の卓球決勝戦。
居酒屋のテレビの中では女子が泣いてました。

今、横の画面の中では男子の必死の姿。
血圧が上がりそうな気がします。今日は早目に眠らせて頂きます。

杉並区下井草のS様、本日は有難う御座いました。

 

台東区入谷での[石版画][リトグラフ]の買取。[織田一磨]の石版画集。

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織田一磨の石版画集

丁度、100年前の上野広小路の街並みの様子に見とれていた時、背中越しに、「なんか、面白い絵だねー」と、どこかで聞いた事のある声。

例の北大塚の85歳のS様のお出ましでした。自転車で。
今日は偶々、品物の整理の日です。
先だって台東区谷中のS様から頂いた品物の一つ、織田一磨の石版画集の中に、面白い絵柄を見つけました。
丁度100年位前の東京と大阪の情景が描かれてました。

100年前の上野広小路

私が一枚の作品を指差して、「これは昔の上野広小路の様子!」
私の返答にS様も、珍しそうに懐かしそうに、眼鏡の奥の目を丸くして見入って下さいました。
100年前の上野広小路

100年前の上野広小路

「私は、絵は良く分からないけど、結構面白いねー」
40点の作品をめくると、今とはかなり様子の違う、東京、大阪の風景が現れました。
43年前に発行された作品集です。当時も多分、とても楽しい作品集だったのではと思います。
1917年の道頓堀

1917年の道頓堀

 大阪道頓堀の作品、私は行った事は無いと思いますが、好きな人に見せて上げたくなります。
100年の時代の流れを教えてくれる、とても楽しく美しい織田一磨の作品集でした。
何枚か一緒に目を通された85歳のS様も御満足のご様子。
最後に出た言葉は、何時もと一緒。
「何と無く、昔の方が良かったね〜」
私も頷くしかありません。
「ところで、其処の市場、辞めないみたいじゃない⁈」
そうなんです。
近くの生鮮市場、一時、廃業の方向が一転、継続に変わりました。
多くの利用者の方等の直訴で、方向転換になったようです。
小判鮫の様な私にも一先ずは良い知らせでした。
前回は、閉めると聞いて寂しそうに帰られたS様、今日はうちの店で、源右衛門の飯碗を買って下さり、帰り際の自転車姿に元気が見えました。
「今日は暖かくて助かるよ。また来るね〜」
お待ちしております。S様。
織田 一磨(おだ かずま、1882年明治15年)11月11日 - 1956年昭和31年)3月8日)は明治期から昭和期の芸術家、版画家
洋画を川村清雄石版画オットマン・スモリック金子政次郎学ぶ。「自画石版の織田一磨」として知られる。主な作品は東京国立近代美術館などに収められている。[Wikipedia]
台東区谷中で【古本】の買取。【版画集】、【写真集】、【画集】、【古書】の買取
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久々の谷根千でした。

春一番の昨日から、まるで真冬に戻った今日の谷根千。

空模様に関係なく相変わらずの人出です。

今日お会いしました谷中2丁目のS様。
そうですねー、とてもお若い、気さくな奥様と言う感じ。

築50年は過ぎた3階建てのお住まいからのお引越しです。

とても気楽に一階から三階まで案内されました。

殆どの品物が仕分けされ、もし私の方で、評価できる物が有れば、御自由にどうぞと言う感じです。

一階の駐車場に無造作に積まれた段ボールの箱とビニールのごみ袋。
これはどうしますか?
それは全部ごみなの。
そこから見つけ出したのが、昭和33年の記の有る鉄瓶とか、純銀の銘々皿とか。
あと、玉川堂の茶筒とか。

一階のソファの上には、中古のブランドバッグとか古い香水達。
皆、私の好きなアイテム達です。

品揃えの最中の私の前に、本の入った重そうな段ボール箱を一つ抱えた男性の姿。
一瞬緊張しながら、「その箱はどうするんですか?」
「これ?、そこに捨てるの!」と駐車場の方へ。

【古本、古書の買取】

ちょっと待って下さいよ!

と、私が集めたのが写真の古本達。
写真集、版画集、画集とか結構面白い物が目に入ります。

古本、写真集、版画集

古本、写真集、版画集

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本を持参されたのが、こちらの御主人、S様でした。
全て要らないとの事。

昭和13年生まれのお元気そうな方でした。
殆どが父上の残されたものであり、御自分にはもう用の無いもので、すでに大量に処分なさってしまったとの事。

残念ながら言葉が有りません。
残った物から活かす物が有れば私に全て任すとノコト。

有りがたいお言葉です。

引っ越されて、那須に有る別送の方に移られるとの事です。
先程からけなげに、一生懸命動かれてる気さくな女性の方。
素晴らしい奥様ですねー
に、
奥さんじゃないんだよねー
の、
御返事。
私のヘルパーなんだよね。30年位。

私も沢山のヘルパーさんを知ってますが、これほど羨ましく思えるヘルパーさんは知りません。

今日は本当に、素晴らしい物たちを大変ありがたく頂いた上に、素晴らしい人たちとの出会いでした。

今日の株価とか、バズーカとかマイナス金利とかに、殆ど縁の無い世界にお住まいのS様、羨ましゅうございます。

久々の谷根千、又お邪魔したいと思います。
S様、有難う御座いました。

谷根千とは、谷中・根津・千駄木の頭文字をつなげたものである。