純銀製の三組御弁当箱の引き取り|文京区大塚にて銀製品の買取回収

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今日は雪の日の買取です。

恐らく午前中の10時くらいに、ぽつらぽつらと雪が舞い始め午後の14:00には風にも影響されて、横殴りの雪になってました。

その影響なんでしょうか、普段はスイスイと通り過ぎる明治通りは、
年末年始を思わせるくらい流れが悪かったです。

雪の影響か人影も本当にまばら。

人の姿が目につくのは、コンビニ駐車場あたり。

この寒空の、今シーズン一番厳しい寒さの中で、私は相変わらずの物探しです(笑)


文京区大塚のお客様からのご依頼

「あのね、片づけたい物が有るのでお願いできますか?」

文京区大塚のH様からのお電話を頂いたのが先週の金曜日。ちょうど大相撲の稀勢の里が寄り切られて休場になった一番のあと電話がなりました。

そんな訳で、私の車は人影まばらな明治通りから不忍通りを経由。

そして白鷺坂を過ぎ、ご依頼をくださったお目当ての、非常に閑静なH様宅へ。


不用品の片付けからスタート

「今日はよろしくお願い致します。これから雪が凄いみたいですね」

お出迎え頂いたのは50代とお見受けする男性の方。オールバックでちょいとお洒落なメガネをかけており、ダンディズムが溢れてます。

聞くと地方銀行の営業マンをされているんだとか。

どうりで洒落た雰囲気が出てると思いました。

なんでも有給休暇を利用して、お住いの千葉県船橋市から、こちら大塚の実家の整理をされているんだそうです。

そんな訳で、早速不用品の片付けのスタート。
まずは2階の和室からの整理・片付けです。

亡くなったお父様が、お医者様をされていたとのことで、かなり古い学術書など本の整理から作業を始めました。

 

そこから、2階の寝室へ。

 

使用感の見受けられる全身マッサージなど数点の家電を1階に下ろします。ほぼ氷点下に近い寒さの中で、額から季節外れの汗が吹き出しました。

どうしましょう、今日は変えのTシャツが無いんだよな、と心中でひとりぼやき。


純銀製の三組御弁当箱の買取

順調に作業も進み、1階の各部屋の整理に入ります。

ここまでの作業で、大分体力を消耗してましたが、
それに見合ったモノが見当たらず、普段よりも疲労感が出てました。

そんな中で、茶の間で畳の上に出された古い贈答品の山の中から見つかったのが、純銀の三組御弁当箱でした。

「あのう、これも要らないんですよね?」

立派な銅箱の中に、ひっそりと収められてました。

銅箱
多少ですが銀特有の汚れが有ります。

これはいわゆる酸化による「錆び」ではなく、「硫化」という現象です。ちなみに銀を酸化させるのは自然界では大変難しく、しかも黒くもなんです。

純銀製の三組御弁当箱

重さは合わせて約400gくらいでしょうか。

なかなかお目にかかれない代物なんで、どこにでもある物ではありません。

 

「これは以前亡くなった父が、何かの祝い事で頂いたものなんです」

 

医者という職業柄、様々な繋がりで贈答品を頂く機会が非常に多かったそうです。

亡くなって、6か月が過ぎたそうです。

このお弁当箱を見ると、仕事や会合やらで忙しかったお父様を思い出すんだとか。
そして、もうちょっと、色々としてあげたかったと・・。

そんな思い入れのある弁当箱、丁重にいただきました。ほかに頂いたさまざまな物達のお値段を、この弁当箱だけで超えてました。

このよなストーリーのある品を頂くと身が引き締まります。
しっかりと思い出の品、大切に扱わせて頂きます。


銀製品など買取りの強化中です

午前中の作業から15:00までかかった作業。
外を出ると、あたり一面が銀世界に変わってました。

帰りの明治通り。
ほとんど人が歩いてません。

「本日は早めのご帰宅をするよう推奨いたします」

ラジオから注意喚起する内容のコメントが頻発してます。
少しの焦りを感じつつ、運転は冷静に。

買入本舗では、今回のような銀製品の買取を強化しております。

年数が経過していると、劣化していて「値にならない」なんて思う方も多いと思いますが、状態によっては高価買取の事例も沢山あります。

お気軽にご連絡下さい。

満州時代の銀製花瓶の引き取り|新宿区余丁町にて銀製品の買取

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「銀製の花瓶が有るんだけど」

うちのチラシを見た、女性お客様からの連絡でした。

ちょっと前にチラシの構成を少し変えたんで、その効果かなと「してやったり」の気持ち(笑)

こういうアイテムのお問い合わせの時は、私の愛車のアクセル踏み込みにも俄然力が入ります。
スピードを出しすぎないように、はやる気持ちを抑えつつ。

 

新宿区余丁町の古いご自宅での買取

場所は、新宿区余丁町。

たしか都営大江戸線「若松河田駅」付近だと記憶してます。

この辺りは、過去にも私の好むアイテムをゲットした場所でもあるので、自然と期待が高まります。

今回は、ご自宅の建て替えで、家の中の整理中の60代の奥様からのお電話でした。

非常にゆるやかなテンポでお話になられる奥様で、
昔付き合ってた友人になんとなく似ていて懐かしい気持ちになっちゃいました。

愛車のカーナビが示す付近に到着すると、軽く築40年以上は経過している思われる「昭和の雰囲気漂う」木造一戸建てのご自宅です。

気を引き締めていざ入口へ。

 

満州時代の純銀の花瓶との出会い

銀製花瓶の銅箱

既に玄関口に、お椀、お盆、お重、コーヒーカップ、グラスの入った箱が山積みになってました。

この手合い、相当の数が無いと、中々ご希望の金額を払えない場合が多いんです。

心の中で

「あらら、ちょっと思ってたよりも・・・」

少しネガティブな気持ちになりかけるも、気持ちを盛り返して、淡々と作業する私。

いわゆる「山」を全部片づけた後、部屋のひっそりと場所にあった押し入れから出てきた品が。

それがこの桐の箱に納められた、純銀の花瓶でした。

花瓶の正面の城はどこのものでしょうか。

満州時代の銀製花瓶

純銀

更に、花瓶を反転させると「康徳5年7月」という年号が記載されてます。

康徳時代の純銀花瓶

見た瞬間、私の鼓動が高鳴りました。

久々の感覚、そしてそれまでの作業で疲労していた疲れが吹っ飛びました。

この「康徳」とは旧満州国の元号で、帝政に移行した1934年3月1日から、満洲国が崩壊した1945年8月18日まで使用されてたんです。

「康徳5年」だと1938年頃でしょうか。日本でいう昭和13年か14年ごろ。

あの満州事変から7年くらい経過してます。

そんな日本と中国との武力紛争があった中で、このクオリティ。

目の前に等身大の鏡があったんですが、私の唇が緊張でカサカサになってます。

 

大奮発での買取

奥様にこの話をすると、

「私の祖父、実は満州時代、満州銀行の頭取だったんです」

とのこと。

「へえ、これはまた数奇な出会いです」と、私。

ちなみに、満州銀行は、国家資金の保管・管理、及び金融市場のコントロール、さらには満州国内の金融システムを統一してたらしいです。

なんで知ってるかって?
私の古い友人で詳しいやつがいたんです。

そんな訳で、先程のお椀達よりははるかに高価なお値段で買い取らせて頂きました。

しかもかなり奮発の買取で。

お支払いを済ませて、荷物を車に積み込むときに

「これ持って行って」

オロナミンCを両手で抱えながら奥様が小走りでこっちに向かってます。

それを見て私も笑顔。

 

夏の空から秋の様相に変わりつつある夕方を、オロナミンCを飲みながら走りました。
これから、店に帰って品物の整理が待ってます。

余丁町のS様、有難う御座いました。

純銀の刻印がなされた銀瓶との遭遇|新宿区市谷台町で茶道具・花器などの買取り

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「自宅を9月中旬に解体する予定なんです・・・」

そんな連絡が丁度お盆が終わりのころ頂戴しました。なんでも近々でご自宅を売却なされるんだとか。

今回はうちのチラシを見て頂いて、その後ホームページをご覧くださりお電話を頂きました。

 

新宿区の市谷台町での引き取り

新宿区市谷台町

お伺いしたのは新宿の市谷台町。
割と久々です。

この市谷台町はいわゆる「曙橋」に位置するんですが、近くに靖国通り、または大きな国道が走っていて、少しづつ都市開発が進んでいる場所でもあります。

今回のお客様同様、あちこちで家の取り壊しが見受けられました。

それでいて、昭和のレトロな街並みも残りつつ、そのバックは巨大なビルディングがそびえたつ、
「旧」と「新」が融合したような感覚が残ってます。

そんな、曙橋駅から歩いておおよそ5分足らずの、築40年は経ってるだろうと思われる木造2階建ての、静かな佇まいのご自宅。

今回はそんなH様からのご依頼でした。

 

畳一面に広がる茶道具や花器

茶道具や花器

「一時の蒸し返すような暑さから、大分落ち着いたわね」

インターフォンを鳴らし、貫禄のある玄関からお出迎え頂いたのは和装の似合いそうな奥様。背筋がピンと立ち、その所作には何かの「道」を感じさせます。

お話をお伺いしていく中で、茶道、そしてお花も趣味で嗜んでいたんだとか。

ご案内頂いた畳の部屋には、既に仕分けされた茶道具・花器たちがまるで私が来るのを待っていたかのようにこちらを見てます。

「その子たち」をしっかりと拝見させて頂きましたが、この手合いは、最近相当の数が無いと、中々ご希望の金額を払えない場合が多いんです。

案の定、保存の状態が若干悪かったようで、ちょっとした傷・割れなどが見受けられましたが私の好きな物が何点か有ります。

 

銀瓶との遭遇

銀瓶

買取できるもの、出来ないモノを識別しているときに、ふとした出会いがありました。

若干黒ずんだオーラのある同箱。わたしのスイッチも一気に切り替わります。

汗ばむ手をふたに当て、ゆっくりと中を覗いてみるとそこには立派な銀瓶が。
裏面を見ると、純銀の刻印がなされており高貴な風情を醸し出してます。

もっとも「銀」という感じではなく、長い間空気に触れることで酸化した黒ずみもまた私好みの品。

奥様にお話を伺うと、亡くなった父上が大事にされたものだとおっしゃってました。ここぞとばかりに「こちらも引き取らせて頂けますか?」とちょっと強気に聞くと、私にお譲り下さるとのこと。

 

私なりに奮発した査定

今回の査定は、この銀瓶の割合が大きく占めました。お代を差し上げると、「こんなにもらえるの?」と、落ち着いた笑みを奥様がこぼされてました。

一連の作業を終えると、奥様がお茶を出して下さりちょっと一息。

お茶を飲みながら、H様のこのご自宅のちょっとした歴史を聞かせて頂きました。

「わたしもこれを期に、再スタートだわね!」

明るく笑う奥様。前向きで一緒にいさせていただくとこちらもポジティブになれそうな、そんな雰囲気をお持ちの方でした。

新しい場所でも、きっと大丈夫なはずです。

 

銀製品の買取はお任せ下さい!

銀瓶の買取

今回のように純銀で作られた銀瓶などの銀製品は、その道に関係している方からもいまだに根強い人気を誇ってます。

買入れ本舗では、東京都内近郊での、銀製品をはじめとする、茶道具・花器の買取に力を入れております。

ゴールデンウィーク、文京区本駒込の買取。【純銀】の【ボンボニエール】。

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ゴールデンウィークの買取です。

暦は平日でも車の流れは全くのゴールデンウィークでした。
場所によっては人影が本当にまばらです。
人の姿が目につくのは、ATMの前あたり。

ゴールデンウィークとは縁が疎遠な私は相変わらずの物探しです。

「片づけたい物が有るのでお願いできますか?」
文京区本駒込のH様からのお電話で、私の車は、人影まばらな明治通りから白山通りへ。
案の定、巣鴨の地蔵通りは人であふれてました。
たぶん人出の多いであろう、六義園の脇を過ぎ、お目当ての、とても静かなH様宅へ。
お休みを利用して、実家のお荷物の整理に神奈川県からお見えとのこと。

純銀のボンボニエールの買取。

畳の上に出された古い贈答品の山の中から見つかったのが、このボンボニエールでした。
「こちらも要らないんですか?」

箱は有りませんでした。
銀特有の汚れが有りました。
有るところには有ってもおかしくありませんが、どこにでもある物ではありません。
目の前のH様が手にする物にしては、H様のお顔が少しお若すぎるような気がします。

純銀のボンボニエール

純銀のボンボニエール

「以前母が、お友達から頂いたものなんですが、私はいりません」
お母様が亡くなって、一年が過ぎたそうです。
ご苦労様です。

丁重にいただきました。
ほかに頂いたさまざまな物達のお値段を、これ一つで超えてました。

確か依然、何かの写真で目にした記憶が有ります。

探し当てると、雅子妃のご成婚の記念の御下賜品のおひとつでした。
鴛鴦に菊の紋章の純銀のボンボニエール。
その中の一つが、23年の歳月を経て、なぜか私の手に渡ってきました。

大切に次の方への橋渡しをさせて頂きます。

私のお店は、たまたま、23年前、雅子様のご成婚の日に開店いたしました。

ボンボニエールフランス語: Bonbonnière)は、もともと砂糖菓子(ボンボン菓子)を入れる容器を指す語[1]。「ボンボン入れ」[1]
ヨーロッパでは子供の誕生祝いや結婚祝いなど慶事に際して砂糖菓子が贈られることが多く[2]菓子を納めるボンボニエールにも記念品としての性格が生じた。日本では近代以降、宮中宴会の記念品(引出物)として配布される意匠を凝らした菓子器・工芸品がこの名で呼ばれる[3]

(ウィキぺディアより)

東京港区、新橋で、【銀製品の買取】、【純銀の皿】の買取でした。

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東京港区新橋での買取

新橋駅の日比谷口。

雨にぬれた、黒いSLを左に見ながら少し進んだ公園の近くに目的の場所は有りました。
ちょこっと寄って見たい新旧の、大小の飲食店だらけの、昔から人の多い一角に有る古い3階建ての建物のお2階にそのお店は有りました。

「お店の中の什器とかを買って欲しい。」
と言う御依頼でお訪ねし、お会いしたのが本日の御依頼人、I様でした。

中に残された品物什器を見て、一瞬、びっくりしました。
大小のこけしが20体位。焼物の能書本が数十冊。他にはイタリア製のカップボード、マルニ風のサイドボードが一つ。他にもろもろ。
数坪の広さのお店で、こちらで暫く、和洋の骨董品、アンティ-ク品の販売をなさって来られたそうです。何時からかは詳しく分かりません。
殆ど同業の、先輩の方とお見受けしました。
恐らく家賃も場所柄お安くは無かったと思います。感心感服です。

店内の整理

とにかく私は御依頼を受ける事に。
詳しい事情は分かりませんが、他の所に移るにあたって、店内の品物を全て整理なさりたいとの事でした。

私の答えは簡単でした。
細い階段の、2階からの搬出で、最低2名の人員が必要な事、古い家具たちにはほとんど価値が無いことなどを説明し、間違い無く相応の費用がかかるであろうことを申し上げました。

銀製品の買取

I様も当然古物商の御経験のある方で、私の申し出に、首を縦に振りながら、先程のサイドボードの中から出されたのが、此の銀製品でした。

純銀の皿と、古い銀製品が少々です。

純銀の皿

純銀の皿

古い銀製品

古い銀製品

「これを以って、何とか、全て、イーブンと言う訳にはいかないかしら?」

相手の方も、この地にて長い間、所謂古い物達を売買して、生計を立てて来られた方。
物にかかる費用と、価値を良くご存じの方でした。
話し合いは、ほどなく、折り合う所で折り合いました。
銀製品だけは、本日の持ち帰りにOKを頂きました。

静かな新橋

最後に日程の打ち合わせを終え、街に出ると、土曜日の午後のせいなのか、春先の冷たい雨のせいなのか、かなり静かな、新橋の街の雰囲気です。コインパーキングにも空きが目立ちます。

以前のこの近辺、昼も夜も人であふれていたような気がします。
一昔前、イキツケノ味の良い焼鳥屋に良く足を運びました。

新しく進出してきた、名の通った飲食店の大きな看板、昔からしっかりと暖簾を守ってきた小さなお店。

激しい戦いの街で頑張って来られたI様、ご苦労様でした。

純銀のお皿、大切に頂きます。有難う御座いました。

埼玉県三郷市の買取。【東京オリンピック記念メダル】、【沖縄海洋博記念メダル】。

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中川と江戸川の間と言うよりは、中川に近い、中川沿いの、三郷市の古いおうち、出迎えて頂いたのは、85歳と仰る、所謂モンペ姿の、白髪丸顔,金縁眼鏡の、F様でした。
広いお庭の車庫には車が一台。銀色のカバーに包まれてました。

中央環状から常磐道に入る手前、三郷ジャンクションから一般道に下り、何時ものように三郷の街に入ります。

関東平野の真ん中で、東京の直前で、昔から、北からの寒風をまともに受け止めてくれる街。この時期にここを訪れるといつもそう思います。強い北風を感じます。

銀色の車カバーの横に車を止め、私は何時ものようにお尋ねします。

「お品物は何ですか?私を呼んで頂いて有難う御座います。どうして私を呼んで下さったんですか?」

F様が、紺色のモンペの裾で手を拭きながら答えてくれます。

「息子が飯田橋に居て、相談したら、貴方の電話番号を教えてくれたの。」

またまた有りがたいお言葉です。

出して頂いたのが、古い着物、欅の卓袱台、掛け時計。

残念ながら、着物は古すぎたり、卓袱台、時計は壊れていたりで評価はかなりしんどそうです。

「そう思って、これも出したのよ。」

モンペの後ろから小さな包み。

藍色の風呂敷を解くと中から現れたのが、東京オリンピックの、記念メダルと、沖縄海洋博の記念メダルでした。

東京オリンピック記念メダル

東京オリンピック記念メダル

沖縄海洋博記念メダル

沖縄海洋博記念メダル

たまたま、最近、金の価格が下がってます。

ご説明申しあげました。

「わかってるわよ。もうこんな物長く持ってる時代じゃないでしょっ!」

まさしくその通りです。

最近は全ての物の価値観が急激に変化中だと思います。

世界中のおお金持ちが、手元の物の処分を始めるとか。

今日の品物も、現在、私達が積極的に欲しがるものでは有りません。明日の価格の保証が有りません。

飯田橋の息子様に感謝しながら、今、買える価格を申し上げ、金縁の眼鏡の奥で喜んで下さるお顔を拝見しながら、荷物の積み込みです。

帰りは、戸ヶ崎の信号を超え東京に入り、水元公園を左に見ながら、大谷田の信号から環七を抜けての帰路でした。

帰りの環七、かなり混んでました。このアナログ感、嫌いでは有りません。

綾瀬の駅の近くで何と無く懐かしいエンジンの音。横を抜けてく一台の車。

多分初代のフェアレディZでした。ドライバーの顔を拝見しようと追いかけましたが、追いつけませんでした。

夕暮れの環七、真っ赤なテールランプが一瞬で闇に溶け込み、灰色の空に向かって、消えて行きました。

 

 

文京区小石川で、【銀製品の買取】、【銀杯の買取】でした。

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「此の銀杯達はみんな旦那さんの物だったんですか?」
「そんな訳無いでしょっ!」
「兄貴が議員やってたり、後は親からもらったものよ。うちの旦那はね、こんな物もらえる身分じゃ無かったの。」
それにしても1件のお宅にしてはかなり多い銀杯の数でした。
旦那様のは2個だけであとは御兄弟、父上の物だそうです。
それにしても御奉公心の旺盛な御家柄とお見受けしました。
「着物と桐のタンスを見て欲しいんですけど」との御依頼で足を運んだ文京区小石川の立派なお宅。
お相手下さいましたのは、70代半ばでしょうか、とってもはきはきして気さくで、真っすぐな背筋が印象的な、素敵なな奥様でした。
ちょうど御庭では、庭師の方が敷石とか植木いじりの真っ最中。
奥様もそちらが忙しい御様子。
「私今忙しいので、そこのタンスと中身見といて!」
はいわかりましたと言って、私の目に留まったのが、タンスとか着物よりも箪笥の上に並べられた此の銀杯達でした。
タンスと着物は結局、整理のお手伝いをする事になり、銀杯だけの買取でした。
私達の買取方法は主にその重さです。
結局、ン万円で気持ち良く譲って頂きました。
御支払いをしながら奥様の口から「これっていつからかメッキになるんでしょう?」
「えっ!、良くご存じで。」
「最近、新聞で読んだのよ。」
「でも当面は、100歳記念の物って事らしいですよ。」
「だから、私なんかが100になってからやってくれればいいのに、すぐ始めるらしいじゃない?それで幾らの節約になるんだか知らないけれど。オリンピックなんか相当掛るんでしょっ!」
ごもっともです。
私らも買える品がこの世から一つ減るわけですから、さびしい限りです。
此の刻印に出会えると少し幸せなんです。

銀杯、純銀の刻印

銀杯、純銀の刻印

年間3億幾らの予算が半分くらいになるらしいんですが、なんとなくさびしい出来事です。

目黒区での【茶道具の買取】、【玉川堂の買取】。

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「缶ビールと日本酒が有るんですけど。」
で、お尋ねしたのは、目黒区下目黒のN様。
有りがたい事です、確か去年の暮れにも矢張り缶ビールの買取で呼んで頂いた方でした。
量は多く有りません。
スーパードライの500が一箱と、日本酒が三本、スーパードライは私の好物の一つですから、有りがたいんですが、せっかく目黒まで来て、このまま帰れません。
2回目という事も有り、チョッとずうずうしく「何か、他に御不用の物は有りませんでしょうか?」
で、たまたま、奥様が、出して頂いたのが此の玉川堂の茶入れでした。
いきさつを伺いました。
聞かなければよかったんです。
「この前、骨董品とか、茶道具とか整理して、たまたまこれ一つが残ってたの」
「こういう物って、お宅も買うんですか?」
買いますとも、スーパードライよりは、遥かに出会いたい、買いたい品物なんです。
手あかの付いてるくらい使い込まれ、槌目の肌色の黒さに渋さが出てます。

玉川堂の茶入の買取

玉川堂の茶入の買取

欲しがる人いの多い品物の一つです。
嬉しさよりも何と無く悲しい出会いです。
奥様へのコメントは無しにして、スーパードライが悲しむような金額で買取させ頂きました。
奥様のちょっとびっくりのお顔を後にして、再び日曜の山手通りへ。

今日は何故か銭湯が混んでました。
缶ビールと世界陸上で、今日の疲れを取りたい私。

100メートルの決勝。
10秒足らずの熱い褐色の戦い。
負けましたがガトリンのはち切れそうな筋肉と、輝くような、渋い黒い肉体に久しぶりに感激しました。
今日は黒に感激の一日でした。

板橋区赤塚で、骨董品の買取。

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肩を痛めてからは、整形外科に通い、リハビリを受けるのが店の休日、火曜日の日課になりました。
日課になって結構過ぎました。
「今日で5回目になります。」
ヒアルロンサンの注射です。
「もう5回ですかー?。。。」 肩に打たれてます。
実を言いますと、内心、その注射の効果に疑心が生じてました。
「所で、木村さんって、カルテの年齢に間違い無いんですかー?」
黒縁の眼鏡のオカッパの丸顔の担当の女性が、足を一歩引きながら、私に尋ねます。
「?」「どういう事ですか?」
「いや、チョッと、」
私が年相応に見えないらしいんです。
正直、見渡したところ、私は若い方の患者かも知れません。
「もっと年上か?それとも?」
「カルテの年齢よりはるかにお若く見えるもんですから。。。」
そういう言葉はも少し早めに聞きたいものです。
この間の治療の効果に疑心の私は、内心、通院も暫く様子を見ようと思ってました。

簡単です。
終わってみると、盆休みの次の火曜日の予約が、済んでました。
病気とか怪我には実はこんな簡単な言葉が、薬とか治療よりもはるかに効果が有るのかも知れません。
黒い眼鏡の、名前は分かりませんが、担当様の言葉に、痛い肩が喜んでます。

今日はもう一つうれしい話。
板橋区赤塚でお会いしたS様、有難う御座いました。
年齢も私と同じくらいの男性の方です。
手の中の当店のチラシは5年前の物でした。
それで私を呼んで下さり、多分、父上が大事にされたものだと思います。
私の好みにぴったりの、箱の入った骨董品類を、私の提示の金額でお譲り頂きました。
私の好きな物が何点か有りました。
七宝で彩られた、銀製のこの酒器は古さが有りとても気に入ってます。

七宝仕上げの銀の酒器

七宝仕上げの銀の酒器

暑い中、何時間もお付き合い頂き、冷たいお茶まで頂き、安普請のしもた屋見たいな、当店のホームページにお褒めの言葉まで頂き、大変感謝いたしております。
今まで、女性の方から、励まされた事は何度か有りましたが、S様の様な、男性の方からのお褒めのお言葉、大変感激しております。
今日も暑さは半端じゃありませんでした。
水風呂から上がった後の冷たいビール、しばし、暑さを忘れさせてくれました。
整形外科の黒い眼鏡の方、板橋区赤塚のS様、有難う御座いました。

今日は暑さの店で、【古い人形】達の【買取】でした。

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今日のような、全てが暑く、気だるく、重たい日、一番は、水風呂に冷たいシャワー。
早めに店を閉め行きつけの銭湯へ。
相撲中継中でもあり、静かな湯船を期待して。
ところが何故か、いつの日も人が少なく静かな銭湯が、今日は人がいっぱい。
水風呂目当てで来たものの、水風呂に中々隙間が出来ません。
熱いバブルを浴びながら、横の水風呂を眺める私。
今日は何と無く、皆様、水が恋しい日だったのかも知れません。
出て見るとまだ相撲の中継中。いつ見ても似たような千秋楽の場面。

暑く気だるい今日の午後、 店に連れて来られたのがこの人形たちです。

「人形、持って来ても良いですか?」
「人形に依ってですけど、、、」
で、待つこと小一時間。
ドイツ製の車に乗せられてきました。
胡粉の雛人形、加賀人形、獅子頭、銀製の小槌、唐金の牛の香炉、馬の置物、その他行き場の無い人形が何体か。

唐金の牛の香炉と、馬の置物

唐金の牛の香炉と、馬の置物

汗の引くようなサプライズは有りませんが、幾つかは眺めてる間だけは、一瞬、午後の暑さを忘れさせてくれました。
車の御主人は、如何様に処分した物か、困っていたそうです。
この暑さの中、連れて来られた人形達。さっそく新しい嫁ぎ先を探すのが私の役目です。
加賀人形の2体が暑さの中けなげに見えました。