台東区柳橋での古い物の買取。古物・アンティーク・不用品の買取

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台風一過の隅田川。

隅田川のすぐわきに、かなり歴史を刻んだ、古いマンションが有ります。

H様のお宅はそこの4階でした。

お部屋に通されるや否や、畳の上には、写真の様な、冷茶、梨、おしぼりの乗った素敵なお盆。

台風15号の後の今日の暑さは、久々の猛暑です。冷たいお茶に、生き返りました。

古い本とか

古い物とか古い本

取りあえず見てほしいのよと、準備されていたのは、相撲関係の雑誌、相撲双六。
アメリカにいたころ手に入れたという、アポロ計画のエンブレム。
ほかに、蝙蝠の化石とか、モロモロ。
お二人合わせて160歳というH様ご夫婦。非常に物を大切にされるお方とお見受けしました。
しかし、私が欲しい物に中々出会えません。

ゴジラのフィギュア

ゴジラのフィギュア

ふと仏壇の横で、こちらをにらむ大きなフィギュア。これは?と尋ねると、アメリカで購入されたというアメリカ製のゴジラのフィギュアでした。かなり痛みが有りますが、お値段が合えば、手に入れたい一物ですが、頑としてダメとのお返事。
後拝見したのが、ガラス製品、ブランド食器等、普段使いで、傷みと数が足らず、中々お値段の提示が出来ません。

こういう日は、往々にして諦めを胸にして、退散することが少なくありません。

じゃ、貴方にこれを見せてあげるわ。
と言われて、ベランダに誘われました。

途端に、下を流れる隅田川からの涼しい風。
昨日の台風で、水の色は淀んでますが、いつもこんな風と一緒のH様ご夫婦が羨ましい限りです。時期になると夜は、屋形船のオンパレードだそうです。

隅田川とスカイツリー

隅田川とスカイツリー

あっち見て!

と首を左に回すと、スカイツリーの雄姿。その右のビルの間には、国技館の緑の屋根が見えます。来週、相撲に行く予定です。その近さに驚きです。
手前の高速道路は、頻繁に走るところです。

今日は何も売ってはもらえませんでしたが、こんな素晴らしい、江戸の名残と、隅田の風を味わうことが出来ましてH様に感謝です。

「次に、貴方が好きそうなものを集めておくから!」
はい、有難うございます。できれば晴れた日の夜にお邪魔させて下さい。

今日は素敵な出会い、有難うございました。柳橋のH様。

不用品処分や古い物・古本・絵葉書などの買取はお任せ下さい

買入れ本舗では、不用品の処分、古い物、古本の買取等はとても得意な分野です。どんな案件でもご相談下さい。一生懸命対応させて頂きます。

お電話お待ち申し上げます。

電話番号は0120-5394-55です。

 

台東区下谷にてFernandes(フェルナンデス)のヴィンテージギターなどまとめて買取

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太陽が燦燦と降り注ぐ本日、台東区の下谷にお邪魔致しました。

JR日暮里駅の近くを横切りながら、たどり着きましたF様のお宅。

まだ昭和の下町の面影の残るこの一帯は、ちょっとばかり懐かしい気持ちにさせてくれます。

そんなF様から『必要のなくなったギターを買って欲しい』というご一報を頂いたのが先週の事。

お一人で住まわれていた自宅をこれから解体するんだそうです。

しかし、思い入れのあるアイテムは処分よりも誰かに引き取って欲しい、との気持ちがあり当店に連絡を下さいました。

Fernandes「Burnycustom」などのヴィンテージギターを買取

今回、F様が買取って欲しいとおしゃったのが、いわゆるヴィンテージものと呼ばれる類のギターでした。

茶の間にいくつかのギターケースがある中で、ひと際目についたのがFernandes(フェルナンデス)のBurnycustomというヴィンテージギター。

Fernandes「Burnycustom」などのヴィンテージギター

70年代タイプのストラトタイプの1本です。

ハードケースに収められたこちらのギター、F様がまめに手入れをされていたのが伺えます。

また、この手の古いギターはお値段よりも私が個人的に好きな部類のアイテム。

付属品もしっかりと揃って申し分なかったんですが、細部までチェックすると、弦の多少の緩み、ボディ表面のちょっとした小傷、指板の軽い汚れはありました。

それでも、個人的な主観も入り混じった査定となり、お客様も納得の買取価格で引き取りさせて頂きました。

台東区下谷のF様、本日は有難うございました。

不用品処分や古いギターなどの買取はお任せ下さい

買入れ本舗では、不用品の処分、古いギター(ヴィンテージもの)の買取等はとても得意な分野です。

どんな案件でもご相談下さい。
一生懸命対応させて頂きます。

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電話番号は0120-5394-55です。

手塚治虫の鉄腕アトム・ブラックジャックなどのセル画像|東京都台東区浅草でセルの買取

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台東区浅草で不用品の片付け・処分の依頼

時折クラックションの鳴り響く、昭和通り。
年末が迫ってるからでしょうか、ドライバーもお急ぎのご様子。

昭和通りから西浅草方面に左折し、言門通りへ。この道を道なりに進み、西浅草三丁目の交差点を少し行った所に、今回ご依頼を頂いたE様のお住いのアパートがありました。

ちなみに私事なんですが、浅草方面での仕事って結構多いんです、何故か。

このコースは何回走ったか数えきれないくらいですね。

今日は年末ってこともあって、早めに店を出たんですけど予定の時間より早く到着しました。

そこは木造の古いアパート。

恐らく私の見立てでは、築44~5年はいってるんじゃないかなと。

ちなみにこちらのアパート、年明け早々に解体が始まるんだそうです。昭和の名残ある建物だけに、ちょっぴり寂しいような、そんな感覚になります。


古本などの片付け・処分

少々早目の到来を告げ、うちのホームページをご覧下さったE様のお部屋のインタフォンをプッシュ。

出迎えて下さったのは、いかにも恰幅の良い旦那様です。

軽く世間話をし、私の見立てが当たってました、このアパート築45年を過ぎてるんだそうです。いわゆる土地開発の関係で、この後立派な建物が出来るんだそうです。

話もほどほどに、さっそく処分されたいとおっしゃっていた山積みになった古本の処分に入ります。

E様からは、古い学術書などもあるなんて聞いてたんですが、
それはほんのチョットで且つコンディションがかなり厳しい状況。

さらに、ほかの大量の本も日が当たって、色が変色してしまってます。

1時間以上物色しましたが何にも出て来ません。
わたしの考えてたものが・・。


手塚治虫のセル画像の買取

鉄腕アトム・ブラックジャックのセル画像

そんな重苦しいムードの中、本と本の間にいくつかのクリアファイルを発見。そこに収まっていたのがこの鉄腕アトム・ブラックジャックなどのセル画像です。

十数枚はありますが、ちょっとしたメモや色の変色はあります。

 

「おれ、昔ね、手塚プロとちょっと関係があってね」

 

そこから30分、昔勤務されていた出版会社のお話や、
手塚先生とおしゃべりされた話を聞かせて頂きました。

手塚治虫のセル画像だったんで、おっと思ったんですが、なんとも言えない感じです。

鉄腕アトムとジャングル大帝

セル画像は難しくて、背景などがあり有名なシーンなら査定が良いんです。一部しか描かれていないセル画は更に厳しいんです。

また、集めている方は限られるので、
保存状態が良くなければ値がつかないことも・・。

「これ、ほんの気持ちしかならかいけど、良いですか?」

すると旦那様は二つ返事で、持って行っていいとのことですんなり頂戴することに。

最終的にはかなりのボリュームだった古本の処分費から、査定分を差し引かせてもらったんですが、旦那さまもセル画像のことより、部屋が整理されたことにお喜びのご様子でした。

大量の本と共に、アトムとブラックジャックを助手席に乗せて、
ありがたく頂戴して帰りました。


事務所に戻って、このくらいのコンディションでも行けるかどうか、
チェックしましたけど中には欲しがる方も多いのが分かりました。

一見、有名な作家の物でも、どれだけそれを欲しがる人がいるかで、評価がガラッと変わってしまうのが私達の世界です。

台東区浅草のE様、有難う御座いました。

淡路人形浄瑠璃との出会い|台東区浅草にて伝統工芸品の買取

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国際通りを西浅草3丁目の交差点で左に折れ、浅草観音堂裏方向へ直進し細い路地に入ると、随分と歴史を感じる古い一軒家が現れました。

入口の重そうな木戸をあけ、よくメンテナンスされた植栽、そして重厚感ある石畳を過ぎ玄関を開けると、その方は左手に杖を突きながら柔和な笑顔。

その旦那さま、恐らく、80歳は超えてらっしゃるかも知れません。
いや、90歳くらいかな。

とにかく笑顔が印象的で、年齢が分からない不思議な印象の方です。

ちょっと安心しました。

この手のお住いにいらっしゃる方は、結構こわもての方が多いんです。
張りつめていた緊張が若干緩みました。

私の悪い癖なんですけど、何故かお客様の年齢が気になるんです。

もしかすると、私自身の年齢がそのようなさせるのかもしれません。

その杖を持たれた男性の方の奥に立っておられる方が、私のホームぺージをご覧になって呼んで下さったG様かも知れません。


コンディションの悪い五月人形の査定

今回の私への依頼品は何体かの五月人形でした。

金太郎、桃太郎、兜や鎧・・。

しかし何せ古いもので、箱は壊れ、服は破れ、
付属品はかなり不足し、評価にはかなり難しい物でした。

今回は

 

「古い物が有るんですけど」

 

と言うお話でお伺いしましたが、この人形の状態では評価が厳しいとはっきり申し上げました。

先方様は、何とか私に処分をと言う申し出です。

実はわたし以外の業者も検討されていたようなんですが、前述したとおりホームページの雰囲気と、真面目そうな感じが伝わったそうで。

いやはや、どうしたものか。


淡路人形浄瑠璃の買取

淡路人形浄瑠璃のあたま

まあ、ダメ元で、いつものあのセリフを言いました。

 

「他に何か不用の物は有りませんか?」

 

あんまり使いたい言葉じゃないんですけど、
ここまで来たら手ぶらで帰るわけにはいきません。

この私の申し出に、案内された半地下の納戸の一番奥にひっそりと佇んでいたのがこの浄瑠璃人形でした。

出会った瞬間、その鋭く力がみなぎった眼が合いました。

「お待ち申し上げてましたぞ、旦那!」

そんな声がかすかに聞こえたような気がします(笑)

じっくり拝見させて頂くと、舞台用の文楽人形ではなく、観賞のためや展示用の人形です。

淡路浄瑠璃は、暗闇の中でも人形が見えやすように、頭が大きく、また肌質はツヤで光っているんですが、保管状態が良かったのかその質は落ちてなさそうです。

ちなみに文楽人形よりも一回り頭が大きんです。

また、共箱や、木札などの付属品がしっかりとついていて大分コンディションはよさそう。

そして、話はとんとん拍子に進みました。

ちょっとだけ奮発した部分はありましたけど、
このような保管状態であれば、まったく後悔はありません。


大きな五月人形などを丁寧に搬出

五月人形とこの文楽人形の積み込みの最中、助っ人で読んだ気の知れた仲間一人と、体にガタの来ている私と、二人でハアハア言いながら、彼を陽の目のあたる場所に連れ出す事が出来ました。

この文楽人形、今は、千川の倉庫に移動してゆっくりとくつろいでます。

心なしか私の所に来てからは、柔和になったような。

 

気のせいでしょうかね。

 

歴史ある文楽人形をこのような素晴らしい状態で合わせて下さいました浅草のG様、有難う御座いました。

東京台東区浅草での木版画の買取でした。平塚運一の木版画[夏のおどり]

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秋に出会った夏の踊り

雷門の大提灯を横目に、かなり年季の入った煉瓦造りのマンションの4階に呼ばれました。

矢張り、年季の入った、程よい白髪に、角刈りの似合うお兄様。

版画とリトグラフが有るからと呼ばれました。

以前やられていた喫茶店の壁に飾られていたそうです。

平塚運一の木版画

見ると、平塚運一の木版画が5、6点。後は一時流行った、軽いリトグラフが、7、8点。

木版画の一枚が何となく気に入り、満足して頂けるお値段で譲って頂きました。

生憎近くにはコインパーキングも見つからず、ハザードを点けたままの必死の買取でした。焦るとよく、ガラスを割ったりします。

その中の一枚の平塚運一の木版画がこれです。

赤の色の綺麗さと、ショーガールの太ももに往時の浅草国際劇場の面影が重なって、何と無く懐かしさを覚えました。

平塚運一の木版画

平塚運一の木版画

平塚運一の木版画

平塚運一の木版画

平塚運一の木版画

平塚運一の木版画

帰り際、仁丹塔が有った辺りの、国際通りを後にしながら、何と無く、時の流れを感じさてくれた、東京浅草での木版画の買取でした。

買入れ本舗は東京台東区浅草周辺での古い物の買取が大好きです。どんなものでも一声かけてください。一所懸命買わせていただきます。

平塚運一[ウィキペディア]

1895年(明治28年)11月17日、島根県八束郡津田村(現松江市)に生まれた。島根県立松江商業学校に入学したが、1913年(大正2年)に中途退学し、松江市役所に勤務。石井柏亭の洋画講習会がきっかけとなり、1915年(大正4年)に上京してデッサンに励み、さらに版画技術を会得[1]。1916年(大正5年)には、二科展に版画作品が入選し、日本美術院展には油彩作品と水彩画作品が入選した。1917年(大正6年)に帰郷して結婚し、公立小学校の図画教員となった[1]。
1927年(昭和2年)から棟方志功らを指導し、1928年(昭和3年)には棟方や畦地梅太郎とともに雑誌『版』を創刊。1930年(昭和5年)には国画会の会員となった。1935年(昭和10年)には東京美術学校の版画教室開設にともなって教壇に立ち、1941年(昭和16年)からは日本女子高等学院や公立中学校でも教えた。1946年(昭和21年)には山根幹人(映画監督)らの協力を得て松江美術工芸研究所を開設した。1962年(昭和37年)には渡米して、活動拠点をワシントンD.C.に移し、アメリカ各地で個展を開くとともに版画の普及に努めた[1]。日本国内においても地方での版画普及活動に熱心であり、棟方、畦地、菊地隆知、北岡文雄など日本を代表する版画家を育てた。
1977年(昭和52年)には勲三等瑞宝章を受け、1989年(平成元年)には松江市名誉市民に推挙された[1]。長野県内の版画普及に携わった功績を称えられ、1991年には須坂市に須坂版画美術館・平塚運一版画美術館が開館した[2]。1997年(平成9年)11月18日、102歳で逝去した。

 

台東区入谷での[石版画][リトグラフ]の買取。[織田一磨]の石版画集。

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織田一磨の石版画集

丁度、100年前の上野広小路の街並みの様子に見とれていた時、背中越しに、「なんか、面白い絵だねー」と、どこかで聞いた事のある声。

例の北大塚の85歳のS様のお出ましでした。自転車で。
今日は偶々、品物の整理の日です。
先だって台東区谷中のS様から頂いた品物の一つ、織田一磨の石版画集の中に、面白い絵柄を見つけました。
丁度100年位前の東京と大阪の情景が描かれてました。

100年前の上野広小路

私が一枚の作品を指差して、「これは昔の上野広小路の様子!」
私の返答にS様も、珍しそうに懐かしそうに、眼鏡の奥の目を丸くして見入って下さいました。
100年前の上野広小路

100年前の上野広小路

「私は、絵は良く分からないけど、結構面白いねー」
40点の作品をめくると、今とはかなり様子の違う、東京、大阪の風景が現れました。
43年前に発行された作品集です。当時も多分、とても楽しい作品集だったのではと思います。
1917年の道頓堀

1917年の道頓堀

 大阪道頓堀の作品、私は行った事は無いと思いますが、好きな人に見せて上げたくなります。
100年の時代の流れを教えてくれる、とても楽しく美しい織田一磨の作品集でした。
何枚か一緒に目を通された85歳のS様も御満足のご様子。
最後に出た言葉は、何時もと一緒。
「何と無く、昔の方が良かったね〜」
私も頷くしかありません。
「ところで、其処の市場、辞めないみたいじゃない⁈」
そうなんです。
近くの生鮮市場、一時、廃業の方向が一転、継続に変わりました。
多くの利用者の方等の直訴で、方向転換になったようです。
小判鮫の様な私にも一先ずは良い知らせでした。
前回は、閉めると聞いて寂しそうに帰られたS様、今日はうちの店で、源右衛門の飯碗を買って下さり、帰り際の自転車姿に元気が見えました。
「今日は暖かくて助かるよ。また来るね〜」
お待ちしております。S様。
織田 一磨(おだ かずま、1882年明治15年)11月11日 - 1956年昭和31年)3月8日)は明治期から昭和期の芸術家、版画家
洋画を川村清雄石版画オットマン・スモリック金子政次郎学ぶ。「自画石版の織田一磨」として知られる。主な作品は東京国立近代美術館などに収められている。[Wikipedia]
台東区谷中で【古本】の買取。【版画集】、【写真集】、【画集】、【古書】の買取
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久々の谷根千でした。

春一番の昨日から、まるで真冬に戻った今日の谷根千。

空模様に関係なく相変わらずの人出です。

今日お会いしました谷中2丁目のS様。
そうですねー、とてもお若い、気さくな奥様と言う感じ。

築50年は過ぎた3階建てのお住まいからのお引越しです。

とても気楽に一階から三階まで案内されました。

殆どの品物が仕分けされ、もし私の方で、評価できる物が有れば、御自由にどうぞと言う感じです。

一階の駐車場に無造作に積まれた段ボールの箱とビニールのごみ袋。
これはどうしますか?
それは全部ごみなの。
そこから見つけ出したのが、昭和33年の記の有る鉄瓶とか、純銀の銘々皿とか。
あと、玉川堂の茶筒とか。

一階のソファの上には、中古のブランドバッグとか古い香水達。
皆、私の好きなアイテム達です。

品揃えの最中の私の前に、本の入った重そうな段ボール箱を一つ抱えた男性の姿。
一瞬緊張しながら、「その箱はどうするんですか?」
「これ?、そこに捨てるの!」と駐車場の方へ。

【古本、古書の買取】

ちょっと待って下さいよ!

と、私が集めたのが写真の古本達。
写真集、版画集、画集とか結構面白い物が目に入ります。

古本、写真集、版画集

古本、写真集、版画集

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本を持参されたのが、こちらの御主人、S様でした。
全て要らないとの事。

昭和13年生まれのお元気そうな方でした。
殆どが父上の残されたものであり、御自分にはもう用の無いもので、すでに大量に処分なさってしまったとの事。

残念ながら言葉が有りません。
残った物から活かす物が有れば私に全て任すとノコト。

有りがたいお言葉です。

引っ越されて、那須に有る別送の方に移られるとの事です。
先程からけなげに、一生懸命動かれてる気さくな女性の方。
素晴らしい奥様ですねー
に、
奥さんじゃないんだよねー
の、
御返事。
私のヘルパーなんだよね。30年位。

私も沢山のヘルパーさんを知ってますが、これほど羨ましく思えるヘルパーさんは知りません。

今日は本当に、素晴らしい物たちを大変ありがたく頂いた上に、素晴らしい人たちとの出会いでした。

今日の株価とか、バズーカとかマイナス金利とかに、殆ど縁の無い世界にお住まいのS様、羨ましゅうございます。

久々の谷根千、又お邪魔したいと思います。
S様、有難う御座いました。

谷根千とは、谷中・根津・千駄木の頭文字をつなげたものである。

 

 

川崎氏多摩区での買取。リオサンバとの出会い。

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台東区にお住まいのN様からのご依頼でした。

目的の場所は川崎市多摩区。

読売ランドが一番近い駅だそうです。私の店から40分ほどで着きました。

外観からお部屋の中まで、40年分の歴史と生活の跡がたっぷりと詰まった立派なお屋敷でした。

建て替えのための整理でお部屋に残された物の買取をお願いされました。

人が住まなくなってしばらくたってます。

過去のぬくもり、思いなどを丁寧に包みながら段ボールの箱が膨れてゆきます。

かなりの品物を頂きました。

掛軸、絵画、茶道具、着物、昭和の家具、ランプたち。
一度には積みきれずもう一度来なくてはなりません。

取敢えず私向きの品物が詰まった段ボール箱を10箱以上車に積むことに。

往生しました。

道路から玄関まで12段の立派な階段。更に二階までの階段。

私の肉体からは「ご主人様ご勘弁を!」の泣き声が聞こえます。

物の虜の私には聞こえません。

階段の降り口のバラの木の棘がしょっちゅう背中を引っ張ります。

何回か階段を滑りそうになりました。

私の額の余りの汗に奥様が冷たいサイダーを出して下さいました。

作業の後、庭を見せて頂きました。

綺麗なバラと椿が咲いてました。

建替えで無くなるそうです。

私は薔薇の名前はわかりません。

リオサンバ、ヘンリーフォンダ、アンネフランクの名のバラに出会えました。

リオサンバ

リオサンバ

アンネフランク

アンネフランク

 

 

先程の階段でのつらい上り下りを忘れました。

最後に椿の小さな鉢を助手席に乗せて素敵な川崎の町を後にしました。

 

 

台東区での油絵の買取、【山之井芳朗の油絵】

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此のところ何と無く目にしたり、耳に入る言葉、紅葉、渡り鳥、ノーベル賞。
今日のテレビは専ら北の台風の話。
北からの冷たい風の中、今日も北大塚のS様がお店に遊びに来てくださいました。
85歳の自転車のお母様です。
最低、1時間は世間話です。お帰りなるまで2時間くらい、店で遊んでくださいます。
ついでに「何か新しいの、入ったの?」と、必ず何かを仕入れてくださいます。
今日は床に置いてある油絵をご覧になって、「これはいい絵だねー、だけどあたしゃ、飾るところが無いのよ。」
その通りです。この絵も昨日、「もう飾るところが無くなっちゃって、、、」と仰る、台東区東上野のお客様から譲って頂いたばかりの作品です。
山之井芳朗作の6号の油絵です。
私も感じの良い作品だと思います。
そこそこの評価の作家さんです。
「お母さん、これ、どこの風景かわかる?」
「あたしにゃわかるわけないでしょっ!」
「これ、野辺山の秋なんですよ」
「えーっ、じゃ、あたしの田舎の近くじゃない!!!じゃ此の山は八ヶ岳なの??」
以前私は、田舎が長野だということを聞いてました。
「そーう、私も若くて、場所が有れば、飾りたいねー」
ひとしきり、秋の風景の作品に眺め行った後、「やっぱり諦めるわっ」
なんとなくさびしげな一言。

山之井芳朗の作品

山之井芳朗の作品

その代り、段ボールひと箱に店で買いこんだ、なんだらかんだらを詰め込んで、後ろの荷台にひもで括り付け、自転車でお元気にお帰りになられました。
帰り際、金色の眼鏡の奥にきらりと光った物、太陽の反射か、それとも。
無事に帰られ、又の出会いをお待ち致します。
自転車の影も、すぐに長くなります。

お帰りになる85歳

お帰りになる85歳

今年の秋の、私のお店での一ページでした。

雨の台東区谷中、【お酒の買取】。【茅台酒】と【モンゴルウオッカ】

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雨の言問通りに面した、かなり年季の入った小さな可愛いお店。
茶色の格子戸を押して中に入ると低い天井に、壁はむき出しの杉板。
40年以上こちらのお店で谷中の街を眺めていたママさん、T様。
「谷根千も結構厳しいのよ」
「そうですかー?いつも人がいっぱいじゃないですか。」
「みんな通るだけ!」
つい最近まで活躍をしていた大きなテーブルにお茶が出されました。今日の雨の冷たさにはとても助かりました。ついでに大根の煮物まで。

おいしく頂きました。
最近までこちらでカラオケのお店をやってたとのコト。
かなり頑張られたと思います。見切りをつけてお店を閉められるとの事。
いいときの思い出も沢山有る代わり、今はとてもしんどそうなお話でした。
不忍通りとの交差点の近くです。
車の排ガスの悩みもかなりの物だそうです。
傍目には羨ましい街並みでも、住む人には、かなりの悩みだそうです。
わかる気がしないでも有りません。特に今日のような雨の日は。

結局お店の造作等は古すぎて、私の出番は無く、お客様から頂いたのと言う、茅台酒一本と、モンゴルのお酒三本を買わせて頂きました。
モンゴルのお酒、中身はウォッカでした。

モンゴルのウオッカ

モンゴルのウオッカ

何で谷中にこのようなお酒が有るのか不思議でしたが、お店の子を気に入ったお客様の贈り物だそうです。
有りがたく頂戴いたしました。

壁に小さな油絵が飾ってありました。紀藤万太郎のサインの有る可愛い作品でした。
何と無く華やかな頃の情景と重なり合うような、女性の題材の可愛い作品です。
譲ってはくれませんでしたが、二階にまだ似たようなアイテムが有るとの事。整理が終わるまでにもう一度呼んで下さる約束を頂き、すっかり秋の、冷たい雨の、谷中の街を後にしました。
T様、温かいお茶、有難う御座いました。

ウオッカの瓶が後ろの席で転がってます。
テレビを点けると画面の中で照ノ富士が転がってました。