埼玉県三郷市の買取。【東京オリンピック記念メダル】、【沖縄海洋博記念メダル】。
中川と江戸川の間と言うよりは、中川に近い、中川沿いの、三郷市の古いおうち、出迎えて頂いたのは、85歳と仰る、所謂モンペ姿の、白髪丸顔,金縁眼鏡の、F様でした。
広いお庭の車庫には車が一台。銀色のカバーに包まれてました。
中央環状から常磐道に入る手前、三郷ジャンクションから一般道に下り、何時ものように三郷の街に入ります。
関東平野の真ん中で、東京の直前で、昔から、北からの寒風をまともに受け止めてくれる街。この時期にここを訪れるといつもそう思います。強い北風を感じます。
銀色の車カバーの横に車を止め、私は何時ものようにお尋ねします。
「お品物は何ですか?私を呼んで頂いて有難う御座います。どうして私を呼んで下さったんですか?」
F様が、紺色のモンペの裾で手を拭きながら答えてくれます。
「息子が飯田橋に居て、相談したら、貴方の電話番号を教えてくれたの。」
またまた有りがたいお言葉です。
出して頂いたのが、古い着物、欅の卓袱台、掛け時計。
残念ながら、着物は古すぎたり、卓袱台、時計は壊れていたりで評価はかなりしんどそうです。
「そう思って、これも出したのよ。」
モンペの後ろから小さな包み。
藍色の風呂敷を解くと中から現れたのが、東京オリンピックの、記念メダルと、沖縄海洋博の記念メダルでした。
たまたま、最近、金の価格が下がってます。
ご説明申しあげました。
「わかってるわよ。もうこんな物長く持ってる時代じゃないでしょっ!」
まさしくその通りです。
最近は全ての物の価値観が急激に変化中だと思います。
世界中のおお金持ちが、手元の物の処分を始めるとか。
今日の品物も、現在、私達が積極的に欲しがるものでは有りません。明日の価格の保証が有りません。
飯田橋の息子様に感謝しながら、今、買える価格を申し上げ、金縁の眼鏡の奥で喜んで下さるお顔を拝見しながら、荷物の積み込みです。
帰りは、戸ヶ崎の信号を超え東京に入り、水元公園を左に見ながら、大谷田の信号から環七を抜けての帰路でした。
帰りの環七、かなり混んでました。このアナログ感、嫌いでは有りません。
綾瀬の駅の近くで何と無く懐かしいエンジンの音。横を抜けてく一台の車。
多分初代のフェアレディZでした。ドライバーの顔を拝見しようと追いかけましたが、追いつけませんでした。
夕暮れの環七、真っ赤なテールランプが一瞬で闇に溶け込み、灰色の空に向かって、消えて行きました。