解体前の古いお住いで軍需品や家財を引き取り|目黒区青葉台で遺品の整理・片付け
本日、私を呼んで下さったのは戦時中に激しい戦火を潜り抜けたアイテム。
1か月前に、お部屋の一室の遺品整理のお手伝いで伺った目黒区の青葉台にお住いのD様から、昨日の夜に電話がありました。
「明日って、来てもらえませんか?」
丁度この時間帯は晩酌中で、少しずつアルコールが体に浸透しつつあった状態。
「えっ、あ、はい」
との気のない返事をしてしまいましたが、先日、遺品の整理・片付けのお手伝いをさせってい頂いたD様と思い出す始末。
わたしの作業が終わって、ちょっとしたら解体に入る、そんなお話を聞いておったんですが引っ越しに時間がかかり、明日がタイムリミットとのこと。
遺品の片付け中に、このソファとか家電類はどうするの?と聞いた記憶があります。
その時は新しい新居にもっていくとの事だったんですが・・。どうやら新居での部屋の間取りと上手くマッチしなかったようで、新しく買い替えになったそうなんです。
「私の意見じゃなくて、娘夫婦が言うもんだから」
そんな訳で、解体ギリギリのタイミングで押し切られ、泣く泣く私に連絡をくださったそうです。
お伺いしたのは目黒区の青葉台。
我々の事務所からの行き方は、前回でしっかりと頭に入ってます。
築年数が相当であろう木造作りのお住いに到着し、少し狭い駐車場にわたしの愛車を駐車してインターフォンで奥様を呼び出します。
「ごめんね。急にバタバタしゃって」
一度茶の間にお通し頂き、お茶とお菓子を準備頂いてました。そしてしばし、このように至った経緯をお話しくださり、私もじっくりとお話を伺いまいた。
その後、前回片付けさせて頂いた部屋へ向い、不要となった家具や家電類を丁寧に搬出作業を開始。
大型のソファ、電動のマッサージ器や小型の家電などを運び出しました。
今日は、物量も多く重いものもあったので、応援にもうひとり呼んでます。順調に搬出が進み、作業も終わりを迎えたところで
「これはやっぱりだめ?」と一言。
手に持ってらっしゃったのは、戦時中のトランク、そして軍服とコート。
このアイテムは前回丁重にお断りした記憶が有ります。
それはお父様が、第二次世界大戦中に陸軍の一員として、激しい戦火で装着していた軍需品私に何とかならないかという話だったと記憶してます。
想いの詰まったこの軍需品。お住いの2階の押し入れに眠ってました。
奥様がお父様の話をされてる時に、その生きざまに目頭があつくなったのを覚えてます。
だから簡単に引き取り出来ないと。私は言いました。
「いや、あなたに持ってってもらった方がいいと思ったのよ」
半ば、強引に、それでも私を信頼してくだってる想いは伝わりました。
但し、そんなに高く買いとれないよ、納得してもらって買取させて頂きました。ただスズメの泪くらいのお代しか置けませんでしたが。
とはいっても、このようなアイテムは大切に扱わせてもらってます。
お預かりする際、恐縮なんですが手を合わせて頂きました。
帰り際、お住いの近くにある「西郷山公園」を通り過ぎると、先月まで青々としていた木の葉っぱがちょっと色味がかってます。
もう秋なんですね。
これからは恐らく、ものすごいスピードで年末まで時間が過ぎていくんでしょうか。
取りあえず、本日も呼んで下さった青葉台のD様、
有難うございました。