豊島区千早での切手の買取。【手彫切手】、【竜文切手】、【竜銭切手。
「あんた、何とかバーグ?って知ってるでしょう?」
「へっ?、何バーグですか?」
「あたしも良く知らないけどさー、何か、30幾つで、何兆円も寄付をするんだって言うじゃない?」
手元の埃だらけの古い雑誌、本達を段ボールの箱に詰めている私には、何兆円とかいう話は、一瞬、現実を忘れるのには十分な言葉でした。
12月の寒さにもかかわらず額からさみしい汗を流しながら手袋を外している私を見ながら、鎌倉彫の丸盆に乗った、お茶と、どら焼きを一つ私に差し出しながら、千早町のK様が、私の前に立ってました。温かい日射しです。今日は。
お盆の上には何とかバーグでも有るのかと思いながら、温かいお茶を頂きながらお話を伺うと、御自身は、今年75歳で、30代の息子様がお二人いて、そのうちのどちらかの子が、最近娘をもうけて、何か、お祝でもと言う時、何と無く、その息子様から、そんなお話を聞いたとの事でした。
私も良くはわかりませんが、フェイスブックか何かの、創始者の、なんとかザッカ―バーグと言う人の話の様な気がしました。
「私も歳でしょっ!もう決心したのよ。この世には私とは余りにもかけ離れた世界が有る事を。」
私も最近、彼に娘が生まれ、私財の5兆円を寄付に回すというような話を目にしました。
それと今日のご依頼がどんな関係が有るのか?
今私は、K様のお宅…私の店から歩いて5分ほどの、豊島区千早町のとても静かな一軒家にいます。
そこで、庭の隅に有るプレハブの物置の中身の整理をしております。
かなり時間の経った、6畳ほどのごく普通の、プレハブの物置です。
奥の方には完璧に古い洋服箪笥、横には桐のタンス、前には布張りの昭和のソファ、手前に来ると箱に入った本の山、物置には小さな窓が有りガラスが掛けてます。濡れた着物が完全に炭素化してました。
K様は、この状態を、半分は永遠にほっておくつもりだったらしいんですけど、何故か急に、片付ける気になったらしいんです。
それが何とかバーグに関してなのか、私にはわかりません。
「私、中の物全部要らないので、貴方、何とかして下さい。片付けたいのよ。」
何とかして下さいと言われましても、私が長年やってきた経験からいえば、間違い無くかなりの費用がかかります。
金額の方は御相談と言う事で、開かなくなったドアを開け、クモの巣を払いながら、何箱かの本の処理が終わった頃、K様の、バーグのお話でした。
お茶を頂きながら、御主人と一代で、昭和の荒波、平成の山々を一生懸命超えて来られたお話を伺いました。
納得でした。最もでした。私も身にしみます。
御主人に先立たれての寂しさも伺いました。
息子様への泣き言は一つも有りませんでした。安心いたしました。
今日はかなり時間がかるのを覚悟しました。
お茶を頂いた後、物置の片隅の、ぼろぼろになった茶色の、革の旅行鞄から、私が見つけたのがこの古い切手達でした。
他にも古い切手、古い絵葉書等が有りましたが、全て、水を吸ってて駄目でした。
残念でなりません。汗が涙になりました。
汗と涙の中から私の目の前に現れたのが、この古い手彫りの切手。
ぎりぎり助かってました。
K様にお見せしました。
私はもうみんな要らないので、貴方にお任せします。のお言葉。
有りがたく、大切に頂いてまいりました。
明治初期の手彫切手。竜文切手、竜銭切手でした。
かなり古い物ですが、残念なことに全て、薄紙に糊づけされてました。
これで、処分の費用が賄えればと思います。
ザッカ―バーグの住む世界とははるか離れた、豊島区千早町でのささやかな幸せとの出会いでした。