平櫛田中(ひらくし でんちゅう)の彫刻品との出会い|東京都千代田区にて買取

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本日は、千代田区の平河町のG様のお宅から、平櫛田中の彫刻作品を買取させて頂きました。

明治・大正・昭和、そして平成の時代を乗り越え、現代にタイムスリップした田中の作品。実際に現場でこの彫刻を見たとき、ことばでは表現できない衝撃が走りました。

「まさか、出会えるとは」

これ、正直な感想なんです。

この商売をやってると色々なモノを引き取るんですが、その中でだんだんと知識がついてきて、「いつかはこんなものを引き取ってみたい」そんな想いにかられるんです。

それのひとつが平櫛田中。


千代田区平河町のお客様からの依頼

千代田区平河町

この買取のきっかけは、昨日の夕方。

明日来れますか?

そんな電話が入りました。都内は急な積乱雲の影響で、ゲリラ豪雨に見舞われ店のものを店内に避難させてるところでした。

電話の内容は、不要になったガラクタなどをどうしても明日には片付けたいので来てほしいとのこと。

どのようなモノか質問しても、「ただのガラクタかも知れないけれど、一度見てください」の一点張り。

ただ、どことなく品のある、それでいて「買入れ本舗さんでないと駄目なの」という私を信頼している感が節々に感じられたので、お客様宅へ伺いました。

場所は、千代田区の平河町。

すぐそこに「国立劇場」がそびえたつ、まるで日本の中心部に澪おいている錯覚に陥りました。さっそく、車両を駐車してお目当てのG様のお宅へ。


平櫛田中と突然の遭遇

平櫛田中

「今日はありがとう、昨日の今日で大変だったでしょ?」

お出迎え頂いたのは、背筋のピンとしたちょっと細身の、それでいて芯の強そうな奥様。あまり詳しくは聞かなかったんですが、近々で今のお住いを売却されるんだとか。お電話で急いでいたのもこれがあったんですね。

さっそく、お部屋にご案内頂き、2階の一室に通されました。
薄暗く、カーテンから外のこぼれ日が目に眩しい、そんな一室。

そこには、今回連絡頂いた奥さまが、まとめたであろう一塊のお荷物がまとまってました。古いバックや木箱に入った食器など。

ひとつひとつ丁寧に拝見させていただくと、その中には銅箱に収められた置物が2点ほどあります。

このとき妙な胸騒ぎがしました。
たまにあるんです、こんな現象が(笑)

期待と、そして思っていたのもではなかった時の落胆を最小限にとどめる慰めの言葉をつぶやきながら、おもむろに銅箱を開きました。

そして、2つ目の木箱に入っている彫刻品を見たとき、脳天に稲妻が走りました。

それが平櫛田中の彫刻でした

G様は、急ぎのご様子だったので、早めにことを済ませたいご様子でしたが、私の中では非常に思い出深い仕事になりました。


古美術品などの引き取りはお任せください

平櫛田中の作品は多くの彫刻コレクターの中でも今も根強い人気を保っております。

買入れ本舗では、東京都内近郊での、平櫛田中をはじめとする、著名な彫刻家の作品の買取に力を入れております。

新宿区南元町での陶磁器の買取り。島岡達三の買取り。

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本日は、新宿区の南元町のT様のお宅から、島岡達三の花瓶を買取させて頂きました。

古めの箱に納められた、縄文象嵌の達三の作品でした。

「今日中に来れますか?」

どうしても今日中に片付けたい品物が有り、ガラクタかも知れないけれどという、何となくハスキーな女性の声に誘われて、四谷三丁目の先、津之守坂入口の信号を右折して、お目当てのT様のお宅へ。

お住いの売却の関係で急ぎの事情が発生したとのことでした。

私が着いたのは、夕方の5時ころ、狭い階段のお二階の薄暗い部屋に一塊のお荷物の山。

ガラクタなんて言うのはとんでもないお話で、古い桐箱に納められた花瓶がいくつか。

傷みは激しいものの、和本の山。

やはり痛んでいるものの、古いバッグたち。

その中の一つがこの花瓶でした。

島岡達三 縄文象嵌花瓶

島岡達三 縄文象嵌花瓶

T様は、荷物が無くなればよしとの事でしたが、思わぬお小遣いを手にして、夕闇の中で気持ち良く送って頂きました。

島岡達三の作品は多くの陶磁器の中でも根強い人気を保っております。

買入れ本舗では、東京都内近郊での、島岡達三をはじめとする、有名陶芸家の作品の買取に力を入れております。

 

 

東京台東区浅草での木版画の買取でした。平塚運一の木版画[夏のおどり]

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秋に出会った夏の踊り

雷門の大提灯を横目に、かなり年季の入った煉瓦造りのマンションの4階に呼ばれました。

矢張り、年季の入った、程よい白髪に、角刈りの似合うお兄様。

版画とリトグラフが有るからと呼ばれました。

以前やられていた喫茶店の壁に飾られていたそうです。

平塚運一の木版画

見ると、平塚運一の木版画が5、6点。後は一時流行った、軽いリトグラフが、7、8点。

木版画の一枚が何となく気に入り、満足して頂けるお値段で譲って頂きました。

生憎近くにはコインパーキングも見つからず、ハザードを点けたままの必死の買取でした。焦るとよく、ガラスを割ったりします。

その中の一枚の平塚運一の木版画がこれです。

赤の色の綺麗さと、ショーガールの太ももに往時の浅草国際劇場の面影が重なって、何と無く懐かしさを覚えました。

平塚運一の木版画

平塚運一の木版画

平塚運一の木版画

平塚運一の木版画

平塚運一の木版画

平塚運一の木版画

帰り際、仁丹塔が有った辺りの、国際通りを後にしながら、何と無く、時の流れを感じさてくれた、東京浅草での木版画の買取でした。

買入れ本舗は東京台東区浅草周辺での古い物の買取が大好きです。どんなものでも一声かけてください。一所懸命買わせていただきます。

平塚運一[ウィキペディア]

1895年(明治28年)11月17日、島根県八束郡津田村(現松江市)に生まれた。島根県立松江商業学校に入学したが、1913年(大正2年)に中途退学し、松江市役所に勤務。石井柏亭の洋画講習会がきっかけとなり、1915年(大正4年)に上京してデッサンに励み、さらに版画技術を会得[1]。1916年(大正5年)には、二科展に版画作品が入選し、日本美術院展には油彩作品と水彩画作品が入選した。1917年(大正6年)に帰郷して結婚し、公立小学校の図画教員となった[1]。
1927年(昭和2年)から棟方志功らを指導し、1928年(昭和3年)には棟方や畦地梅太郎とともに雑誌『版』を創刊。1930年(昭和5年)には国画会の会員となった。1935年(昭和10年)には東京美術学校の版画教室開設にともなって教壇に立ち、1941年(昭和16年)からは日本女子高等学院や公立中学校でも教えた。1946年(昭和21年)には山根幹人(映画監督)らの協力を得て松江美術工芸研究所を開設した。1962年(昭和38年)には渡米して、活動拠点をワシントンD.C.に移し、アメリカ各地で個展を開くとともに版画の普及に努めた[1]。日本国内においても地方での版画普及活動に熱心であり、棟方、畦地、菊地隆知、北岡文雄など日本を代表する版画家を育てた。
1977年(昭和52年)には勲三等瑞宝章を受け、1989年(平成元年)には松江市名誉市民に推挙された[1]。長野県内の版画普及に携わった功績を称えられ、1991年には須坂市に須坂版画美術館・平塚運一版画美術館が開館した[2]。1997年(平成9年)11月18日、102歳で逝去した。

 

文京区大塚の買取。13代柿右衛門の酒器セット

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文京区大塚の買取

「失礼ですけど、戦後ですよね?」

「そう。ギリギリねっ」

勇気を出して尋ねてみました。今日のお客様、文京区大塚にお住いのA様。恐らく、お一人暮らしのご様子。                                                                                                                                                                           昭和20年11月のお生まれだそうです。まさしくギリギリの戦後生まれの方でした。

そろそろ、身の回りの整理を始めたいと言う事で、本の整理をして欲しいとの事。                                   美術全集、土門拳の写真集、その他、女性の細腕には荷が重い、昔流行ったハードカバーがかなりの量。正直私も、到底欲しいとは言えそうもない品物達です。正しく整理のお手伝いです。

マンションの10階、女性一人ではかなりしんどい作業です。

私の額に薄っすらと汗が滲み始めた頃、「ついでにこれもお願いします。」

13代柿右衛門の買取

テーブルの上に目をやると見慣れた桐の箱が5つ、6つ。13代柿右衛門の箱書があります。数の多いシリーズですが、私の好きなアイテムです。

13代柿右衛門

13代柿右衛門

13代柿右衛門

13代柿右衛門

ついでに食器棚の中のもいいわよと言われて、オークラのカップソーサー、源右衛門の小鉢、バカラのロックグラスなどを頂く事になりました。

「頂いて行っちゃって、いいんですか?」

「もういいのよ。何となく。早めに整理しようと思って。」

重い本の整理が余程気に入ったご様子で、私の買取金額も、手でさえぎりながら、「そんなにいらないから」との事でした。

帰りの車、本の重さでタイヤが泣いてました。何と無く秋模様の今日の大塚の買取でした。文京区大塚のA様、有難うございました。

買入れ本舗では、古い物、古美術品の買取をさせて頂きながら、皆様の身の回りの整理のお手伝いもして居ります。                                                                                                                                                           どうぞお気軽にお電話下さい。➿0120-5394-55

 

相変わらずのガラクタ整理。諏訪蘇山との出会い。

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豊島区でのガラクタ整理

相変わらずのガラクタ整理に追われてます。

かなりの量が有ります。

ご依頼の方からは、「何も無いよ!ガラクタだらけだよ!」「もし、欲しいのが有れば、自由にして下さい。」と言うご依頼を受け、写真のような、長年放置された、まさしくガラクタの山との戦いが始まりました。時間は3日、2トン車で6台ほどの、ガラクタの処分作業です。

シャッターを開けて二日目の今日、小雨の中の必死の作業。
人数は5人。
暑さが無くて助かりました。
然し、何年も放りっぱなしにされた、箪笥洋服、本、書籍類からは目に見えぬ不気味な埃の攻撃。

諏訪蘇山の香炉との出会い
その中で今日の獲物が一つ。
埃とネズミのふんにまみれた壊れかけた天袋の奥から、小さな桐箱。
埃をどけて、蓋を開けると、中から現れたのは、青磁の小さな香炉。

第2代諏訪蘇山

諏訪蘇山の香炉

箱には「蘇山」の銘。かなり薄い落款でしたが、2代目諏訪蘇山の作品とお見受けしました。

知らぬ間に時刻は4時を過ぎ、あたりはあいにくの天気でまさしく夕闇が間近。

取り敢えず、今日会えたのは、蘇山が一つ。
諏訪蘇山の青磁の香炉。

時間の経過、置かれていた条件からはかなりの美品でした。

ご依頼主様に感謝です。

明日また、希望を持って、ガラクタの山に挑みます。

お得意様の不動産会社から依頼された、お店の近く、豊島区千早3丁目でのガラクタ整理の一こまでした。

買入れ本舗は、あらゆるガラクタ、古い物の整理、買取に積極的に取り組んでおります。

ガラクタが思わぬ収入に。
お電話お待ちいたします。0120-5394-55

港区南青山で買取の版画との出会い。竹久夢二の版画でした。

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新しい発想に出会うに

場所と雰囲気を変えることにより、新しい発想に出会えるようになり、すべての仕事にプラスの結果をもたらすそうです。
ご立派な知事様の貴重なお言葉です。

週末には必ず、知事様が訪れると言う神奈川湯河原。
新しい発想との出会いを求める多くの忠実な都民の方々で、
緑の湯河原は今頃、廃ガスの湯河原になっているんではと心配です。
それ位今日の私の街は静かです。閑散としてます。
曇り空に黒いカラスが一羽飛んでます。
一生懸命動くのは、何時もの宅配のお兄様。
横の酒屋さん、向かいの居酒屋さん、隣のスナック。
どちらの軒先にも白い連休のお知らせ。
羨ましい限りです。
ゴールデンウィークにはとうの昔に見切りをつけられた私は、お店の奥で一人、品物整理です。
そこで今日はこんな美人と出会えました。

夢二の版画に出会いました

夢二の版画が出てきました。
確か二年前の夏頃、港区南青山で出会った記憶があります。
可哀想にそれから二年間、お店の奥のくらい倉庫でじっと待ってたんですね。陽の目に出会うのを。
8枚組の内、3枚が足らず、そのまま忘れられて居たようです。
その中の二枚です。
柳湯と、逃げた小鳥

夢二の版画

夢二の版画 柳湯

夢二の版画

夢二の版画 逃げた小鳥

二人ともこの世に生まれ、100年位は経ってると思います。
愁いに包まれたモダンでロマンチックな女性たち。
愁と苦悩に囲まれて孤独な一生を送ったという夢二。
そんな夢二と自分の人生なんかを重ねて、一瞬、ロマンの世界のドアを開けようかという時、テレビの画面からは、神戸の方からの悲惨な叫び。
時も場所も関係なく伝えられる最近の悲劇。
ロマンに浸るいとまも有りません。
久しぶりにこの世を見た100年前の美女たち、どんな気持ちでしょう。
曇り空の静かな私の街に眼を向けると、どこからか聴こえるカラスの啼声。
行楽地にお出かけの多くの方々、素晴らしい発想に出会い、休み明けの生活に、是非、多くのプラスのあらん事をお祈り致します。

 

ゴールデンウィーク、文京区本駒込の買取。【純銀】の【ボンボニエール】。

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ゴールデンウィークの買取です。

暦は平日でも車の流れは全くのゴールデンウィークでした。
場所によっては人影が本当にまばらです。
人の姿が目につくのは、ATMの前あたり。

ゴールデンウィークとは縁が疎遠な私は相変わらずの物探しです。

「片づけたい物が有るのでお願いできますか?」
文京区本駒込のH様からのお電話で、私の車は、人影まばらな明治通りから白山通りへ。
案の定、巣鴨の地蔵通りは人であふれてました。
たぶん人出の多いであろう、六義園の脇を過ぎ、お目当ての、とても静かなH様宅へ。
お休みを利用して、実家のお荷物の整理に神奈川県からお見えとのこと。

純銀のボンボニエールの買取。

畳の上に出された古い贈答品の山の中から見つかったのが、このボンボニエールでした。
「こちらも要らないんですか?」

箱は有りませんでした。
銀特有の汚れが有りました。
有るところには有ってもおかしくありませんが、どこにでもある物ではありません。
目の前のH様が手にする物にしては、H様のお顔が少しお若すぎるような気がします。

純銀のボンボニエール

純銀のボンボニエール

「以前母が、お友達から頂いたものなんですが、私はいりません」
お母様が亡くなって、一年が過ぎたそうです。
ご苦労様です。

丁重にいただきました。
ほかに頂いたさまざまな物達のお値段を、これ一つで超えてました。

確か依然、何かの写真で目にした記憶が有ります。

探し当てると、雅子妃のご成婚の記念の御下賜品のおひとつでした。
鴛鴦に菊の紋章の純銀のボンボニエール。
その中の一つが、23年の歳月を経て、なぜか私の手に渡ってきました。

大切に次の方への橋渡しをさせて頂きます。

私のお店は、たまたま、23年前、雅子様のご成婚の日に開店いたしました。

ボンボニエールフランス語: Bonbonnière)は、もともと砂糖菓子(ボンボン菓子)を入れる容器を指す語[1]。「ボンボン入れ」[1]
ヨーロッパでは子供の誕生祝いや結婚祝いなど慶事に際して砂糖菓子が贈られることが多く[2]菓子を納めるボンボニエールにも記念品としての性格が生じた。日本では近代以降、宮中宴会の記念品(引出物)として配布される意匠を凝らした菓子器・工芸品がこの名で呼ばれる[3]

(ウィキぺディアより)

豊島区長崎のお客様。マイセンのワイングラスとバカラのビアマグの買取

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地震の翌朝

テレビのスイッチを入れると、案の定、どこを見ても、頭にはヘルメット、手にはマイクのレポーター達の口から流れる地震現場からの情報合戦。
昨夜の、地震直後の各局の対応の素っ気なさが嘘の様。

テレビに映る場面からは、5年前、私の小さな店の中でも棚にある品物が音を立てて崩れ落ちた情景が思い出されます。

テレビに夢中の私の背中で「おはようございまーす。」の声。
昨日、お世話になった、長崎のN様がこ脇に小さな紙袋を抱えレジの前に立ってらっしゃいます。
「お願い!、これも引き取ってくださる?」
伊勢丹の紙袋から現れたのは、ペアのワイングラスと、ちょっと大きめのガラスのビアマグ。
「昨夜の地震、見たら、急に要らなくなっちゃって。」
良く分かります。
前回の震災時にも、手持ちの大事なガラスや花瓶達が割れてしまい、それから、割れるものから、一歩も二歩も引いた方が少なくありませんでした。

マイセンのワイングラスとバカラのビアマグ

袋から出された物を見ると、それは、マイセンのワイングラスとバカラのビアマグでした。確か何年か前、何かの記念でキリンから出された物でした。

マイセンのワイングラス

マイセンのワイングラス                                                     

バカラのビアマグ

バカラのビアマグ

私には嬉しいお客様達です。
「安くていいのよ。」
昨日と言い、今日も又、太っ腹なN様。
朝一番のお客様です。
丁重に買い取らさせて頂き、お代の代わりに、素敵な笑顔を残されて帰られました。

震災の現場を見るたびに、命の不思議さを感じます。
助かる人とそうでない人。
運の強い人とそうでない人。

仕事でも人生でもそうですけれど。

頑張って下さい、男子プロ

ある局で、今日開催予定の女子ゴルフの中止を伝えてました。
当然です。熊本での開催でした。
それに比べ、昨日からやっと始まった、男子プロ。
それで無くとも人気は落ち目、ギャラリーの入りも心配。
中止されず二日目も開催されてます。確か三重県で。
何とも散々な男子プロゴルフの今年のスタート。
選手の方々、頑張って下さい。
それがきっと、熊本への応援になると思います。

豊島区長崎で【大倉陶園】の買取。【オールド大倉】のプレート

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大倉陶園の瑠璃色プレート

多分、昭和の始めの頃の物だと思います。
当時の段ボール箱に納められていました。
箱に書かれた墨での説明、箱に貼られた、当時の大倉陶園のシール。

オールド大倉

オールド大倉の手書きの説明

シールの下の方、瑠璃の字は読めても、その後の二文字が分かりません。
どなたか読み方を教えて下さればと思います。
多分、分かる方が見れば、シールの内容から、いつ頃作られた物なのかも判断できると思います。

大倉陶園

大倉陶園のシール

食器の買取

「いらない食器が有るんですけど」

実際にお邪魔してみると、本当に不用になったと思われる、普段使いの急須、茶飲みやガラス皿の塊の横の畳の上に、古めいた段ボールの箱が控えめに置かれていました。
「これも要らないんですか?」
「えー、もし宜しければ」
開けると、裏に、OKURAの文字。
それもかなり古いタイプの。
金のシールも綺麗なままで。
所謂、オールド大倉のプレートが出てきました。
使われた形跡は有りません。昔の包装紙もそのままです。

オールド大倉

オールド大倉のマークとシール

お店の前で、私にお声を掛けて下さった、豊島区長崎のN様。
何と無く畳の上の食器たちを早く片付けたいご様子。
「このお皿には、何か連れの物は有りませんでしたか?」
「なぜかそれしか出て来ないのよ」

多分長い年月で、使われながら減って行き、運のよい此のプレートだけが生き残ったみたいです。

お値段にはあまり拘りの無さそうなN様。
私が、「私も要らない物が有るんですが、それも入れて、こんなもんで如何でしょうか?」
「えーっ、本当?」

初めからお代を頂けるとは思って居なかったN様の御様子。
思わぬお小遣いを手にされて本当に喜んで下さいました。

帰り際に、これも持って行ってと手渡されたレジ袋の中に缶ビールが5、6本。私の好きな、エビスでした。ごちそうさまです。

美しい瑠璃色に細い金筋の可愛い6枚のオールド大倉のプレート。
昭和の初めからひっそりと生きながらえて来たこんな品物が私は好きです。
可愛い果物をちょこっと載せてみたい、そんな、今日の昼過ぎ、豊島区の長崎で出会ったオールド大倉の瑠璃色のプレートでした。

丁度今、テレビの画面には、九州での強い地震の報道。
多分明日の朝には多くの被害が明らかになると思います。

見たかったニュースが一つも見れそうに有りません。今夜は。
ご無事をお祈りしながら、おやすみなさい。

豊島区北大塚での【ルイヴィトン】、【アルゼール】のかばんでした。

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マスターズのダイジェスト版から

今回のマスターズ。
時間の関係で、ダイジェスト版を見ました。
残り9ホールで2位に5打差のジョーダンスピース。
確か、10,11,12番で、スコアを六つ落とし、直前までの天国への階段から、一気に暗黒への地獄へとまっしぐら。
自分を含め、多くの方々の人生の縮図を見せられたような今回のアメリカでのマスターズ。
地獄へと向かいながらも必死に自分を信じながら、もがくスピース。
今回のマスターズの女神の愛を一身に受けたダニーウィレット。
そんな人生の縮図が今回のマスターズのテーマでした。
人生一歩先のの怖さと、目には見えない好運との出会い。
そんな事を教えてくれました。今回のマスターズ。

豊島区北大塚で

沢山の女神の愛に見守られて今日まで生きて来られたような、本日お会いした、豊島区北大塚のT様。
おそらく30代の方だと思います。
上品なお顔立ち、落ち着いたしぐさ。

ルイヴィトン アルゼールの買取

そんな方の両手に乗って運ばれてきたのが、今日の品物、ルイヴィトンのモノグラムシリーズの中の名品、アルゼールのかばんでした。
今までも何回か出会った事が有ります。
然し今回のアルゼールはかなり魅力的なアルゼールでした。
擦れた傷はほとんどなく、四隅の真鍮の金具もほとんど無傷。
かなり恵まれたコースを歩いてきた逸品だと思います。
叔母さまの遺品で、使う方もいないという事で、私との出会いが実現しました。
恐る恐る、私の口からこぼれた数字に、T様の、大きな瞳と、小さなお顔が快く応えて下さいました。
私の店に連れて来られた、ちょっと渋めの、綺麗なアルゼール。
しばらくは私のお店の、埃にまみれた古い大きな茶色の木の棚の上で、新しい人生を歩いて頂きます。
これから誰に出会うかは、あなたの運次第です。
どなたか、可愛がって下さる方。探してます。